スターバックス物語③
■スターバックスのDNAの創り方
大禅ビル(福岡市 大名 賃貸オフィス)の打ち合わせでも、お客様との待ち合わせでも、カフェをよく使います。
店の雰囲気にもコーヒーの味にもそこまでこだわりはないものの、スターバックスだけはなぜか、他のカフェにはない「特別感」を感じさせてくれるますよね。
それはたぶんスターバックスには、スターバックス自身から生まれたDNAみたいなものが強烈に意識され、
店、商品、サービス、理念
の隅々にまで浸透されているからではないかと思います。
お店をそっくりそのままコピーして増やしてったような、お洒落さのバーゲンセールが如きチェーン店とは一線を画す
「スターバックス」のルーツが強調されているように感じます。
スターバックスも確かにチェーン店であることに変わりはありませんが、チェーン店といえど、それぞれの店が個性を強く発していて、
それでいながら「ザ・スターバックス」という「らしさ」を余すところなく共有しているんですね。
今回はスターバックスがどのようにして自らのDNAを練り上げていったのかについて、引き続きご紹介していきます。
■ハワード・シュルツとスターバックスの出会い
後にスターバックスが爆発的に拡大するきっかけをつくった中興の祖、ハワード・シュルツは、スターバックスに参画する前は食器雑貨の販売会社の副社長として働いていました。
ある時ハワードは、特定のドリップ式コーヒーメーカーの注文だけがなぜか大量に来ていることに気づきます。
調べてみると注文は全てスターバックス・コーヒー・ティー・スパイスという会社から来ていました。
シアトルでたった4店舗しかないコーヒー豆ショップなのに、なぜこんなにも大量に注文を?
疑問と好奇心に駆られた彼は初めてのシアトルに飛び、注文元のスターバックスを訪れます。
そこで創業者ジェラルドから出されたヨーロッパ風の深煎りコーヒーに、彼もまた衝撃を受けるのでした。
びっくりするほどの濃さとコク、そして香り。
彼は未知の世界を発見した気分になって、あっという間にスターバックスの虜になってしまいます。
彼が口にしたこの一杯のコーヒーが、彼の人生をも徹底的に変えるのでした。
■コーヒーの世界に飛び込む!
前回のコラムでご紹介したように、ハワードは人生において冒険することに価値を置く人物です。
ゼロックスという超一流のグローバル企業でのキャリアを捨て、アメリカに進出したばかりのスウェーデンの食器雑貨販売会社に転職した選択を見ても、
彼は世間体や給料よりも、己の冒険心を満たすかどうかを人生決断の軸としているのが伺えますね。
この会社では年間7万5000ドルの高給と専用車、そして無制限な出張旅費という高待遇を得ています。それでも彼の心は既に次なる冒険を渇望していました。
未知に挑む戦いの中でこそ得られるひりつくような人生の満足感―あるいは快感―に対する飢えが、彼を駆り立ててやまなかったと思われます。
そのような冒険者が、コーヒーという未知への興奮を予感させてくれるような宝と出会ったのです。
彼が下した決断はシンプルでした。
スターバックスへの転職です。
誰もが羨む成功者の立場を捨て、地方の小さなコーヒー豆販売会社に賭ける冒険者となったのです。
彼は一年かけてスターバックスの創業者たちを口説き、一度は断られながらも熱意が通じて、ついにスターバックスの経営に参画することを許されます。
職責はマーケティングでしたが、コーヒーに関してはほぼ素人だったため、まず店舗の現場でコーヒーに関する知識と技術を徹底に叩き込まれます。
彼の熱の入れようは店舗のスタッフたちも目を見張るものだったようです。
■ハワードの驚くべき提案
ハワードはスターバックスのコーヒーと理念に惚れ込んでいました。
だから彼は、スターバックスはシアトルでこぢんまり留まるのにはあまりに勿体ないほどの莫大なポテンシャルを秘めていると確信していました。
経営者としても、一ファンとしても、スターバックスが次のステージにいくためには何かブレイクスルーが必要だと考えた彼は、
従来のスターバックスのあり方をドラスティックに変える提案をします。
それが
「店でお客にコーヒーを売り、飲ませる」
ことでした。
当時のスターバックス、いま私たちに馴染みのあるカフェスタイルではなく、あくまでコーヒー豆の卸売店でした。
店内で試飲はできるものの、あくまでメインは豆売りです。
ハワードはそこに、ブレイクスルーのチャンスを見ました。
彼はイタリアに出張した際、現地のコーヒー文化を目の当たりにして啓示を受けています。
あらゆる街角のコーヒースタンドで人々は家庭の延長で気軽にコーヒーを傾け、家族や友人とゆったりくつろぎ、四方山話に花を咲かせていました。
カウンターの奥に立つバリスタは職人として尊敬され、バリスタもお客一人一人の顔を覚えていて、コーヒーを淹れながらお客と言葉を交わし、心地よい時間を共有する。
そこには販売者と購入者の関係を超えた、コーヒーショップとお客との絆があり、
豊かさを暮らしの中で醸す、暖かな空間があったのです。
ハワードは思いました。
スターバックスは確かに質の良いコーヒー豆を売っている。
しかし、コーヒーを農産物としか扱っていない。本物のコーヒーが分かる人にだけ分かればいいと思っている。
コーヒー文化の最先端を走るスターバックスは、コーヒー文化の魅力をもっと万人に解放すべきではないのか?
そのためには本物のコーヒーに感動する体験を提供し、さらにコーヒーを介してお客と良き関係を結ぶことに、スターバックスは一層積極的にならないといけないのではないか?
コーヒーへの愛の深さと、ニューヨーク生まれのビジネスマンらしい血気盛んな気質は、彼をして
「お客にコーヒーを飲ませる」
という新事業を経営陣に提案させますが、反対されます。
創設者のジェラルド曰く、スターバックスはあくまでコーヒー豆の小売店。
レストランでもバーもでない。
本物のコーヒーは伝わる人に伝わればいいし、
飲食業に手を付けてしまうと自分たちが大事にしてきたビジョンが損われる可能性があると。
ジェラルドたちもハワードと同じく、本物のコーヒーの追求者です。
だからこそ彼もブレない軸を持っていました。
事業規模の拡大を追い、ましてや飲食業という未経験の事業に手を出すハワードの提案は、価値観の純度を何よりも重視する彼にとってあまりに冒険的だったのです。
それからスターバックス経営陣がハワードの提案に積極的になれなかったもう一つの理由は、
当時のスターバックスは自身の生みの親とも言えるピーツコーヒー&ティー社の買収にかかりっきりだったからです。
スターバックスの創業者3人衆が師匠として仰ぎ、コーヒーに関する知識、技術、理念をみっちり仕込まれたオランダ人コーヒーマイスター、
アルフレッド・ピートが立ち上げた会社です。
会社が売り出されたところ、スターバックスが手を上げたというわけです。
特にジェラルドは、ピーツコーヒー&ティー社こそ本物のコーヒー文化の総本山という思いを抱いており、
自社資本の6倍もの金額を銀行から借金して買収につぎ込むほどの熱の入れようで、そのような状況下でハワードの提案はどうしても優先順位が下がってしまったようです。
ただ、それを上回るハワードの熱量としつこさ(笑)に押され、新しくオープンするスターバックス6号店で試験的にエスプレッソバーを始めることを了承します。
今のスターバックスの原型となった、コーヒー提供とコーヒー豆販売を同時に行う店舗が初めて世に登場した瞬間でした。
(つづく)