デザイナーたちの物語 ジュリオ・ロマーノ

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

◯マエニリスムの開拓者

今回ご紹介するはジュリオ・ロマーノ。

 
ロマーノ1
 

ロマーノは、イタリア・ローマ生まれの建築家であり、画家としても活躍しました。

 

「マニエリスム」という表現様式を切り拓いた人物として、歴史的に高い評価を受けています。

 

マニエリスムとは、 16世紀ヨーロッパ建築の代表的な様式であり、バランスと調和を重視したルネサンス様式に対し、

 

非現実的な人体比例、誇張された遠近法と短縮法、不自然な空間表現、反自然主義的な色調など、バランスを崩す不調和を志向する点に特色があります。

 

一言で、「既存の規範から逸脱した描写で表現される美術」と言えます。

 

さて、ロマーノは、盛期ルネサンスを代表する建築家・画家の1人であるラファエロ・サンティの弟子として芸術活動を始め、ラファエロの助手を務めながら、ヴァチカン宮殿の壁画装飾やヴィラ・マダガの建造に参加しました。

 
ラファエロ
 

その後、マントヴァ公フェデリゴ・ゴンザーガ2世に招かれて宮廷美術家となり、離宮パラッツォデル・テを生み出しました。

 
ロマーノ2_パラゾ
 

これはロマーノが建築設計と装飾を行ったものであり、彼の最高傑作との呼び声も高い。

 

また、ロマーノが晩年に設計した自邸は、全体としては端正な外観をもちながらも、規範から逸脱した窓枠構造など自由な形態を有しており、マニエリスム様式と古典との関係を示す好例といわれています。

 

彼の生み出したデザイン手法は、ミケーレサンミケリやセバスティアーノ・セルリオ、アンドレア・パラディオら、マニエリスム期の建築家に大きな影響を及ぼしました。

 

◯巨匠ラファエロの弟子として

ロマーノはローマで生まれました。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロとともに、盛期ルネサンスの三大巨匠の一人と称される画家・建築家のラファエロ・サンティのアトリエでアシスタントとして働き、

 

比較的若いにもかかわらず、次第にラファエロの右腕となっていきました。

 

1520年にラファエロが亡くなった後は、バチカンのコンスタンティヌスの生涯を描いたフレスコ画や、ラファエロの「聖母の戴冠」と「変容」の完成に貢献しています。

 

バチカン後期のフレスコ画やキリストの変容、「樫の木の下の聖家族」といった後期の作品は一般的にラファエロではなく彼の手によるものとするのが定説です。

 

ローマでは、ジュリアーノ・デ・メディチ枢機卿(後のクレメンス7世)のためにヴィラ・マダマを装飾しています。

 
ロマーノ_マダガ
 

1522年からは、マントヴァの支配者であるゴンザーガ家に招かれ、夏の離宮であるパラッツォ・デル・テの建築家に任命されました。

 

その後マントヴァにおいて、ゴンザーガ家の庇護の下、その特異な才能を開花させ活躍していきます。

 

ロマーノはここで仕事をした20年ほどの間、国の建設計画に対し指導的な立場を獲得したと共に、他の建築家たちと比べて非常に自由に自分の建築を実現できるような特権を得ています。

 

マントヴァの公爵邸の再建、大聖堂の再建、サン・ベネデット教会の設計にも携わっていました。

 

マントヴァ近郊のサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会にあるカスティリオーネの墓の上に置かれているキリスト像は、ロマーノが彫刻したものです。

 

またロマーノは、洪水に見舞われたマントヴァの改修も指揮し、マントヴァの街のために、様々な寺院、礼拝堂、家、庭園、ファサードを設計しています。

 

◯ロマーノの代表作

ロマーノは、画家としてよりも建築家としての影響力が大きく、その作品はイタリアのマニエリスム建築に多大な影響を与えています。

 

1514年にローマ教皇の建築家に任命されたラファエロの助手として、絵画と同じように建築を学び、初期の作品はラファエロのスタイルを色濃く受け継いでいます。

 

後にメディチ家の教皇となるクレメンス7世が建設したローマ郊外のヴィラ・マダマの計画は、ラファエロの死後、ロマーノに託されたもので、

 

ルネサンス期の古典建築の様式の中に遊び心のある驚きを求める彼のセンスがすでに発揮されていました。

 

また、彼のローマでの最後の建築物であるパラッツォ・マッカラーニ・スターティは、街の中心部にあるパラッツォで、1階には店舗があり、重厚で堂々とした雰囲気を持っています。

 

以下ロマーノの代表作をご紹介します。

 

ロマーノ自邸

 
ロマーノ_自邸
 

自由な手法が散りばめられたマニエリスムの代表作で、ロマーノ晩年の作品です。

 

彼の様式の円熟さを物語るマニエリスムの特徴をよく示す建築です。

 

外観全体は極めて端正にデザインされながらも、方形の1階窓、装飾に覆われた窓枠をもつ2階窓、円柱に支持されることのないエンタブラチュア、半楕円形アーチの入口など、

 

古典的規範から脱した自由な造形要素が散りばめられています。

 

パラッツォ・デル・テ

 
ロマーノ2_パラゾ
 

ゴンザーガ家の離宮として建てられた、ロマーノのマントヴァにおける最初の作品です。

 

古典的法則や比例にとらわれない自由さ、幻想性をもち、ロマーノの最高傑作とも言われています。

 

建物の中庭側の壁面では、柱間のトライグリフ (柱頭に載る水平材・アーキトレーブと、そのさらに上方にある水平材・コーニスを繋ぐ鉛直要素) が1枚ずつ落ち、

 

それに伴いトライグリフの直下に位置するアーキトレーブも、部分的にずれ落ちるという、構造的な意味を剥奪するかのような不思議な形態操作がなされています。

 

また、パラッツォ・デル・テは、「プシケの間」「巨人の間」「馬の間」(マントヴァは馬の名産地で有名だった) など、部屋ごとに施された壁画の見事さでも知られています。

 

ヴィラ・ランテ・アル・ジャニコロ

 
ジュリオ_ランテ
 

ローマの郊外にある別荘です。

 

ロマーノは、尾根上の位置を利用し、ローマのやや狭い敷地を克服するために、建物全体に軽やかさと優雅さを感じさせるようにしました。

 

オーダーは繊細で、メインフロアにはトスカーナ式またはドリス式の柱とピラスターがペアで、上部には極めて浅いイオニア式のピラスターが配置され、その存在感は異なる色で表現されています。

 

交互に配置されたロッジアの開口部は、エンタブラチャーの上のアーチによって高くなっています。

 

イオニア式の柱頭のヴォリュート(渦巻形装飾)は、それらの間の窓の周囲で繰り返されています。

 

この作品では、建築規範は構造上の目的から独立したものとして視覚的に扱われ始め、この解放は建築家に新たな表現の可能性を与えたとされています。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 

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