デザイナーたちの物語 ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

◯バロック建築の旗手

今回ご紹介するのはジャン・ロレンツォ・ベルニーニ。

 
ベルニーニ
 

17世紀のローマで活躍した建築家です。

 

建築史においても、また彫刻史においても、バロック様式の表現者として一時代を創った芸術家として知られています。

 

建物、教会、礼拝堂、公共広場などを設計したほか、建築と彫刻を融合させた大規模作品、特に公共の噴水や葬儀用モニュメント、葬儀や祭礼のため建築を設計しています。

 

同時にベルニーニは、画家、演劇人でもあり、ランプ、テーブル、鏡などの様々な装飾品を設計を手掛けたデザイナーでもありました。

 

多才さと想像力、そして大理石を巧みに操る技術は天才ミケランジェロの後継者とみなされ、同世代の他の彫刻家をはるかに凌駕していました。

 
ベルニーニ8
 

◯教皇に認められた神童

ベルニーニは、1598年にナポリで彫刻家の息子として生まれました。

 

どうやら天賦の才が備わった神童のようで、「わずか8歳の時に天才として認められ、父親から一貫して励まされていた」と伝えられています。

 

また、ベルニーニの才能を最初に認めたのは教皇パウロ5世であるとも言われ、「この子はこの時代のミケランジェロになるだろう」と言ったそうです。

 

ベルニーニの父は教皇からの礼拝堂建築の依頼を受け、1606年に家族全員を連れてナポリからローマに移住します。

 

ベルニーニ一家がローマに到着してからしばらくして、ベルニーニ・ジャン・ロレンツォという少年の偉大な才能についての噂が広まり、

 

すぐに教皇パウロ5世の甥であるボルゲーゼ枢機卿スキピオーネ・ボルゲーゼの目に留まり、彼は叔父にその天才少年のことを話したという。

 

教皇パウロ5世はベルニーニ・ジャン・ロレンツォの才能の話が本当かどうかを確かめようと、ジャン・ロレンツォと会うことになり、そこで少年は聖パウロの似顔絵を即興で描き教皇を感嘆させたそうです。

 

これが教皇がこの若き才能に注目するきっかけとなりました。

 

◯サン・ピエトロ大聖堂の広場

ベルニーニの数多くの建築作品の中でも最もよく知られているのは、カトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂の広場でしょう。

 
ベルニーニ8
 

バロック最初の建築家であり、サン・ピエトロ大聖堂の主任建築家であったカルロ・マデルナのもとでベルニーニは修行し、

 

師亡き後はウルバヌス8世に登用され、サン・ピエトロ大聖堂の職を引き継いでいます。

 

そこで手がけた天蓋は彼の処女作の一つです。

 
ベルニーニ8
 

また、偉大さに欠けるといわれていたマデルナ作のファサードを、対比の効果や透視図法を駆使し、高く迫力のある印象にがらりと変えてみせています。

 

高さが抑えられた楕円と2本腕のコロナードは大聖堂に迫力をもたらし、

 

さらに並行ではなく楕円部分から大聖堂に向けて広がっているため、大聖堂が実際の奥行きに比べて迫ってくるようになっています。

 

数世代にわたって建設されてきたサン・ピエトロ大聖堂を調和した姿にまとめたのが、 ベルニーニと言えます。

 
ベルニーニ8
 

ちなみに開いている楕円のコロナードを閉じる建物が当初計画されていましたが、教皇の死去に伴い中止されたようです。

 

その後もベルニーニは建築の依頼を次々とこなし、ルイ14世からルーヴル宮殿増築のために招かれた際は王子級の待遇を受けるなど、名声を欲しいままにしていました。

 

ベルニーニのバロック様式の作品の中で特筆すべきは、彼が60歳前後から手がけたサンタンドレア・アレクイリナーレ聖堂です。

 
ベルニーニ8
 

小規模な教会ですが、ベルニーニは自らの作品で最も完成されたものと評していました。

 

この作品からは、独立性の強い両翼をもつ「三部構成」のファサードや、要素ごとに個性をもたせ、相互に対比させながら全体の調和を目指す「対比的調和」の原理がよく読みとれます。

 

外部は曲線を描く両翼が中央への視線を促し、内部は楕円形平面の短軸両端に入口と主祭壇を構え、不思議と奥行きが生まれています。

 

透視図法を使いこなすベルニーニの技術の高さが伺える作品ですね。

 

◯バロック様式とは何か?

ここでバロック様式について説明します。

 

バロック様式とは1590年頃からヨーロッパで盛んになった建築様式です。

 

建築そのものだけではなく、彫刻、絵画を含めた様々な芸術的要素に活動によって絢爛豪華な空間を構成するのが特徴です。

 

バロック様式が隆盛した理由の一つに、カトリック教会の権威向上と信者獲得が目的であったと言われています。

 

16世紀のヨーロッパではカトリックとプロテスタントの宗教対立が激化し、カトリック教会は威厳を回復するべく、サン・ピエトロ寺院など壮大な大聖堂や教会の改築や建築に力を入れ始めたのです。

 

そこで大きく感動させることができるような、劇的な外観と内部空間をつくることが建築家に求められたのです。

 

これがバロック様式の発展の始まりでした。

 

建築そのものに加え、ドームなどを含めた内部の空間を大きく使う。

 

教会内で目に入る宗教画を巨大サイズにする。

 

後世の芸術家からは「過剰装飾だ」と批判されるほど、綺羅びやかな装飾が贅沢に施され、

 

さらに偶像崇拝を禁止していたプロテスタントに対抗し、カトリックでは豪華な大理石彫刻が次々に制作され、建築の内外に積極的に置かれるようになりました。

 
ベルニーニ8
 

◯再評価される天才

「ベルニーニはローマを必要とし、ローマはべルニーこを必要とする」とは、教皇ウルバヌス8世の言葉です。

 

21世紀の今、ベルニーニと彼のバロック建築作品は再び脚光を浴びています。

 

1998年の生誕記念年以降、ヨーロッパや北米を中心に世界各地でベルニーニの作品をテーマにした展覧会が数多く開催されるようになりました。

 

20世紀後半、1980年代から90年代には、イタリア銀行券5万リラ紙幣にはベルニーニの像が描かれました。

 

また、本コラムでも紹介した建築家、イオ・ミン・ペイが、ルーヴル美術館のエントランスプラザの再設計において、ベルニーニの像を忠実に複製した像を唯一の装飾として使用したことも話題になりました。

 

ベルニーニの最大の業績は、バロック芸術に時代の新しい感性を独創的で方法で表現し、都市の外観や雰囲気に決定的な影響を与えたことにあります。

 

私たちが建築に感じる美の基準も、ベルニーニのような天才たちの感性によって先導されたものかもしれませんね。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 
ベルニーニ8
 

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