建築史シリーズ キリスト教建築③

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

このシリーズではそうしたデザイナーたちが紡ぎ上げてきた建築の歴史を中心にご紹介していきます。

 

◯集中堂式

初期キリスト教建築は以前ご紹介したバシリカ式以外にもう一つ様式があります。

 

それが集中堂式です。

 
サンタコスタンツァ
 

集中堂式は円形、正八角形、正六角形、正方形などを平面の基本とし、中心にドームを戴き、周囲にその他の要素を配置する求心性の高い構成の教会堂です。

 

空間の長さを基本とするバリシカ式はミサに向いているのに対し、求心的な上昇感を指向する集中堂式はとミサに不向きと言えます。

 

集中堂式は教会堂だけでなく、洗礼堂や墓廟としても用いられました。

 

洗礼の儀式は身体ごと水槽の中に浸かる浸水洗礼だったため、中央に水槽を置いた集中堂式がふさわしかったのです。

 

また、イエスのお墓の場所に円形プランの聖墳墓教会が建てられたことも理由です。

 

この教会に倣い、墓廟やマルティリウム(殉教者記念堂)が集中堂式で建てられるようになりました。

 

有名な遺構としてサンタ・コスタンツァ廟堂が知られています。

 

キリスト教は、バシリカ式、集中堂式という2つの新しい様式を生み出し、4世紀以降、キリスト教建築は数千年にわたり建築の最先端であり続けます。

 

ローマ時代以降の西洋建築の歴史とは、キリスト教建築の歴史といえるのです。

 

そして集中堂式はこの後、ビザンツ建築へと進化していきます。

 

◯アヤ・ソフィアの革命性

初期キリスト教では、アプス上の半ドームに神の座として象徴的な意味が与えられていました。

 

東ローマ帝国のビザンツ建築ではこれをさらに推し進めて、ドームがより強く意識されるようになりました。

 

さらに典礼行進に適しているバシリカ式のプランと「どうやってうまく組み合わせるか」が、建築的な課題となっていきます。

 

その課題を解決したのがペンデンティヴ・ドームでした。

 

 

板石などの水平材を隅部に架け渡し、ドームのペンデンティヴより上の部分を水平に切り取って円形の平面をつくり、その上に半球のドームを載せるという工法です。

 

そのペンデンティヴ・ドームを用いて建てられたのが、トルコのアヤ・ソフィア大聖堂です。

 

 

ドームの基部にはぐるりと開口部が巡り、光が降り注ぎ、まるで巨大ドームが天から神の手で吊り下げられているような錯覚を受けます。

 

身廊はアプスへと向かう軸線を形成し、バシリカ式を呈しています。

 

同時にアプス、半ドーム、中央のドームへと徐々に高さを増していく空間は、集中堂式でもあります。

 

本来両立し得ない特質の空間が融合したわけです。

 

ペンデンティヴで荷重を受けるため、それ以外の部分が構造的に開放できます。

 

つまり、大きな窓が採光できるようになったということです。

 

それにより青緑色中心の大理石、金地の鮮やかな上層の壁面、そしてモザイクなど、多種多様な色彩が開口部からの光を浴びて輝くような表現が実現します。

 

ペンデンティヴ・ドームという偉大な発明により、「バシリカ式+集中堂式の一体型」というローマ人たちも成し得なかった新しい空間の創出に繋がりました。

 

アヤ・ソフィア大聖堂は壮大華麗ではありましたが、構造的には弱く、補修と補強を繰り返し、そのためアヤ・ソフィア以降、ここまで大規模なビザンツ建築はつくられなくなったのです。

 

時代は巡りオスマン・トルコの時代、次々と建てられたイスラム寺院はペンデンティヴドームを載せ、ドームと半ドームによる整然とした幾何学的構成の建築でした。

 

つまりビザンツ建築どころか、イスラム寺院群もアヤ・ソフィアなしではあり得なかったのです。

 

◯工期400年の教会

サンタ・マリアデル·フィオーレ大聖堂は、1436年にフィレンツェに建てられた教会です。

 

 

フィレンツェの大司教座聖堂であり、ドゥオーモ(大聖堂)、ロマネスク様式のサンジョヴァンニ洗礼堂、ゴシック様式のジョットの鐘楼の3つの建築物で構成されており、特にドゥオーモ(大聖堂)は初期ルネサンスを代表するものとなっています。

 

このドゥオーモは、完成まで大変長い月日をかけられてつくられました。

 

まず1294年に彫刻家アルノルフォ・ディ・カンピオに設計を依頼。しかし1302年、アルノルフォ死去のため中断しました。

 

1334年、後継者のジョットに依頼、鐘楼の計画を進めました。

 

しかし、ジョットも1337年に死去してしまい、再び中断します。

 

1355年、工事再開。

 

フランチェスコ・タレンティをはじめとする6人の彫刻家、建築家の手を辿り、1380年にようやく大聖堂の身廊部が完成。

 

1410年にはクーポラの基部であるドラムまで完成しました。

 

しかしその後、1417年までドームの架け方が見つからず、さまざまな図面と模型のやり取りがなされています。

 

ドーム建設は技術的に大変困難だったのです。

 

なぜなら、当時世界一を誇っていた古代ローマのパンテオンをも凌ぐ規模だったからです。

 

1418年にクーポラ建設のため公募で募ることになりました。

 

結果、最終的にフィリッポ・ブルネレスキの案で工事が開始されることになりました。

 

 

そして1434年にクーポラ完成し、クーポラ頭頂部のランターンの完成は1461年でした。

 

またその後、大聖堂西正面の建替え工事が完了したのは、なんと1887年。

 

こうして、何人もの格闘の末に長い時間をかけて出来上がったのです。

 

この時ブルネレスキが提案したのは独立した二重の構造をもち、地道に積み上げて築く案で、足場なしという画期的なものでした。

 

市民の間では二重構造のため屋根全体の重量が増して危険ではないかと危惧されましたが、巨大ドームは無事に完成したのです。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 

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