建築史シリーズ キリスト教建築②
弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。
そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、
そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。
とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。
本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。
このシリーズではそうしたデザイナーたちが紡ぎ上げてきた建築の歴史を中心にご紹介していきます。
◯凛とした天井
キリスト教建築の空間において、リブ・ヴォールトは特筆すべき構造様式です。
そのリブの役割をより装飾的に強めていった国が、ゴシックが尊ばれた中世イギリスです。
リブとシャフトの繋がりは、あたかも建物全体の荷重を支えているように見えます。
しかし荷重の大半を負担するのは、コンクリートを裏打ちしたヴォールト天井であり、ピアや壁、フライングバットレスです。
この装飾としてのリブの可能性を極限まで発展させたのが、イギリスゴシックだったのでした。
イギリス・ゴシックの特徴としては、曲線と反曲線の組合せによるトレーサリー(窓の上部やばら窓にとりつけた、装飾的に発達した仕切りの骨組み)、多数の枝リブをもつヴォールト天井、壁体量の減少と広大なステンドグラスなどがあります。
増えた枝リブによって末端の束が太くなり、溶かしたような形態になっていることも特徴ですね。
◯イギリス・ゴシックの代表格
グロスター大聖堂やキングス・カレッジ礼拝堂の天井は、網の目状のファン・ヴォールト(リブが均質に扇の骨のように広がっている様式)が張り巡らされています。
光の中に浮遊するようなゴシック建築の空間は、ロマネスク建築の厚く重い壁天井がスタートでした。
その後、フライング・バットレスで壁量を減じ、シャフトとリブを用いて、視覚的な軽やかさと繋がりを生みました。
ゴシック建築はロマネスクにはない革新をたしかに数々成し遂げたのです。
しかし、限界まで大きくした窓(開口部)をもってしても、内部と外部がつながる一体空間は生み出せませんでした。
◯少し寄り道・・・「湾岸都市」
クロアチアのドプロブニクは、かつてヴェネチアやジェノバと並ぶほどの隆盛を誇った港湾都市でした。
港湾都市とは、物資の集散地点の役目を果たすため、同時に商業交易の重要地点として栄えた都市をいいます。
こうした都市の実権を握ることは、政治的にも商業的にも多大な利権を掌握することであったため、常に侵略の危機に瀕していました。
地中海の沿岸には、防備に有利な自然の要塞として陸から近い「島」がそうした役割をもって発展しました。
その中でもドブロブニクは、船員の休憩、食料や水の供給地としても役割を担い、島としての自然の要塞に加え、強固な城壁で囲まれた都市は地中海の商業交易の重要な拠点として繁栄しました。
ドブロブニクはかつて島でした。
西ローマ帝国が崩壊し、スラブ人の襲撃から逃れてきたラテン人の居住区となり、入り江を挟んでスラブ人と対立するかたちでの暮らしが長く続いていましたが、12世紀後半になるとそうした争いも消え、入り江が埋め立てられ、ドブロブニクは平和な半島になったのです。
その埋め立てられた入り江が、現在の「プラッァ通り」であり、かつての対立の象徴だった場所が2つの民族をつなぐ平和の象徴になっているのです。
1991年に旧ユーゴスラビアが崩壊した後に民族紛争による内戦が勃発し、ドプロブニクは砲撃を受け、多くの建物が破壊されました。
それから内戦が治まり、世界中から復興支援を受けたことで短期間で復興を遂げています。
現在、世界中の多くの観光客を魅了しているオレンジ色に輝く瓦屋根は、まさに内戦で砲撃を受け、新しい瓦に葺き替えられた建物を示しています。
◯比例で世界を認識する
サン・ロレンツォ聖堂は1425年頃に竣工した、ルネサンス初期を代表する建築です。
ルネサンスは古代ローマ建築の再評価から始まった動きで、当時参照されたウィトルウィルスの『建築書』は、古代ローマ時代に著されたギリシアローマ建築に関する現存する唯一の建築書です。
この著作は後に長きにわたり建築の教科書的な役割を果たすことになりました。
『建築書』では建築各部の比例関係について記述されており、この比例関係を重視する流れが生まれたのです。
サン・ロレンツォ聖堂を設計した建築家のフィリッポ・ブルネレスキも、比例を重視した建築家の一人です。
ブルネレスキはこの比例関係を平面のみならず、高さの決定にも取り入れました。
ルネサンス以前のゴシック後期では、各都市の間で建築の高さを競争するといった状況がありました。
このゴシック飽和期に、ブルネレスキの提唱した幾何学的比例による高さの決定の方法は有効であったと考えられます。
さらにブルネレスキは、その後大きな影響を与えることになる、透視図法を発明したとされています。
透視図法の原理は、奥行き方向に向かう平行の線は、すべて地平線上の一点(消失点)に集約され、また奥行き方向に均等に配置されたもの同士の距離は、奥に行くにしたがって狭く見えるというもの。
この「世界の見方」の発明は、「当時の西欧人の空間認織にかかわっている」と考えられています。
これにより、聖堂などの宗教建築はロマネスクとゴシックの時代に、規則正しいベイ(屋根の交差ヴォールトを支える柱に囲まれたエリア)の配列による構成が一般化しました。
教会の入口に立つと、奥行き方向に規則正しく並ぶ列柱や、床や天井を形づくるさまざまな平行線が一点に収束していく光景は、絶対唯一の神を前提としたキリスト教の世界観に合致したものでした。
このように宗教的にふさわしい空間を発見した人々は、その空間を特徴的に写し取る図法を潜在的に求めていたとも言えます。
一神教という宗教観、ベイの連続による建築、透視図法という三者による強力タッグが、この初期ルネサンスに完成しました。
以降、数百年の時を経てなお、私たちの空間の見方の常識となっているのです。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。