エストニア・タリン旧市街を巡って
■エストニアと私
今でこそ「電子立国」だの「スタートアップ」だの、日本からも周回遅れですがエストニアに熱い視線が注がれいます。
私や私の仲間たちは、このエストニアブームが湧き起こる少し前から、縁を頂きとあるエストニアプロジェクトに関わっておりました。
前後合わせてエストニアへ渡航したのは6回、私だけでも手出しで数百万円投資しました。
多くの人を巻き込んだこのプロジェクト自体は、諸般の事情によって、苦い味を残しながら失敗に終わってしまったのですが、
お陰で普通に生きていたら一生出会う機会がなかったであろうエストニアの関係者や、おそらく訪れる機会もなかったであろう北欧の小国・エストニアと貴重な縁を頂けたのは、
決して事業失敗の負け惜しみでもなんでもなく、事業の成否以上にありがたい収穫でした。
今回はエストニアの目玉・タリン旧市街を振り返ってみたいと思います。
■観光の目玉・タリン旧市街
タリンはデンマークとの関わりが深い。
まだエストニアという国家がなかった13世紀に、デンマーク王だったヴァルデマー2世がタリンを軍事支配下におき、城塞都市として開発を進めました。
やがてタリンは西ヨーロッパのハンザ都市(北海・バルト海沿岸の商業都市)とロシアの交易路の役割を担っていたため、活気あふれる港町として知られ、経済発展を遂げていきます。
ただ、ここがタリンと呼ばれるようになるのは更に時代を下ってからです。
もともと「タリン」は「Taani Linn(ターニリン)」に由来し、「デンマーク人の城塞」と意味します。
ただ、この町がまだ「ターニリン」でなかった頃、主にドイツ人から長い間「Reval(レヴァル)」と呼ばれていたそうです。エストニアの地名「Revala」に由来しています。
この「レヴァル」はエストニア人にとっては地元の歴史を親しく想起させてくれる響きのようで、会社名やお店の名前に「レヴァル」を使っているところも多いとか。
福岡だとさしずめ「筑紫」と言ったところでしょうか。大禅の不動産事業の法人である「筑紫不動産」もまさしくそうですね。
さて、タリン最大の魅力はこの歴史薫る旧市街において他にないでしょう。
旧市街は1997年に世界遺産にも登録されています。
市街、といっても思いのほか狭いエリアで、端から端まで歩いてもたったの15分程度です。
タリン旧市街は主に二つのエリアに分けることができます。
一つは「山の手地区」。
なんだか東京の山手線に似た響きですが、別名「トーンペア地区」とも呼ばれ、その名前は13世紀に建立された「トーム教会」、そして「頭」を意味する「ペア」に由来しています。
つまり「トーンペア」とは「トーム教会のある丘」を意味します。
日本でも城を中心に城下町が作られていくように、ヨーロッパでも教会を中心に町が栄えていきます。トーンペア地区はトーム教会とトーンペア城周辺に広がっていました。
もう一つのエリアは下町地区。
商業都市としての顔が色濃く出ている地区で、市議会を中心に商人や職人の町となっています。日本で言うところの下町です。
山の手地区と下町地区は城壁で隔てられ、適用される法律も違っていたそうです。
地区の雰囲気の違いは今にも引き継がれ、山の手地区には国会議事堂(トーンペア城)、首相官邸などの行政機関が建ち並び、下町はお土産やレストランで賑わう繁華街となっています。
私が下町を回った中でとりわけ印象的だったのは市庁舎広場にある「市議会薬局(Raeapteek)」です。
ヨーロッパの薬局の中でも最古と言われる薬局で、1422年から記録が残されています。
歴史にして約600年!
大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)も老舗ビルとして自負して参りましたが、桁が違い過ぎて比べ物になりませんね・・・。
そして街中には私たち日本人がイメージするような格調の高い古き良きヨーロッパ建築が並んでいます。
切り立った屋根や石畳、石灰岩やゴシック様式の建築、特に門構えが建物ごとに違う個性を放っていて、まるで扉の美術館か何かのようでした。
上質な欧州映画の中を歩いているような、そんな夢うつつの空間。
それがタリン旧市街でした。
旧市街は世界遺産ですが、観光地だけの地というわけではありません。
町ですので地元の人たちの生活の場でもあります。
行政機関やオフィス、子どもが通う学校、そして映画館、酒場、レストラン、ブティック、ギャラリー、骨董品店などなど。週末、祝日前などは夜中まで賑わうのだそう。
かくいう私も夜中にクラブへと洒落込んでどんちゃん騒ぎしたクチです(笑)
旧市街は暮らしの息遣いが感じられる町でもあるのです。
■カフェもウォッカも本場!
そして例に漏れず、ここエストニアでも他のヨーロッパの国と同様、カフェがとにかくお洒落!
悔しいですが、やはりここが本場だと痛感させられました。
町とカフェのお洒落さが互いにこれ以上ないほどに自然に馴染んでおり、どちらか一方のお洒落だけが先走っているとか全くなく、
中世の町のモダンな雰囲気に、風景としてカフェがあるべくしてあるのです。
「文化」とは「生き方」だと言います。
路地裏のカフェにふらっと入って、そこで口にしたコーヒーの味わい、そこで過ごしたエストニア時間が、エストニアの「文化」だったのかもしれません。
一方、エストニアは酒も豪快にかっ喰らいます。
メインは寒冷地におけるマストアイテム・「ウォッカ」。結婚式、葬式、誕生日の酒席に欠かせません。
ギネスブックに載ったというアルコール度数98度の殺人的ウォッカもあるくらいですから、彼らの酒好きのほどが伺えるでしょう。
加えてエストニア人は北欧人らしく人見知りな国民性らしく、なおさらお酒はコミュニケーションの潤滑油として一層その役割を発揮しているわけです。
ここでデータを示してみましょう。
世界保健機関の2016年の統計によれば一人あたり(15歳以上)のアルコール消費量は純アルコール換算ベースでなんと世界2位!
一人年間で15リットル超の純アルコール、ビールに換算すると一升瓶で約170本分!
毎日ビール大ジョッキを必ず1杯飲む計算です。
観光客による消費やロシアからの買い付けを勘定に入れても凄まじい数字に思えますが、肝臓は大丈夫なのでしょうか・・・?
なお最近では度数の低い酒を好む若者も増えているようです。
ちなみに日本は64位。博多駅の角打ちでワイワイやっているおじさんたちがすぐなぎ倒されるレベルに違いありません。
エストニア、恐るべし。
さて、ウォッカばかりではなく、他にはビールもワインもあります。
ビール工場は19世紀にドイツ系の人々によって設立されたそうです。
一方ワインは、輸入物は別として、実はエストニアではぶどうから作られたワインはほとんどなく、リンゴやベリー類のワインが多い印象ですね。
とにかく酒飲みにとってもエストニアは絶好の地。
ソーセージ、ベーコン、塩漬けキャベツといったおつまみにも充実、ソーセージなんかは日本では口にしたことがないほどの美味でした。
肉の種類がそもそも違うのか、それとも調味料が違うのか。
きめ細やかな肉質の中に、肉らしい自然な旨味がぎゅっと詰まっていて、匂いはもはや薫りと言ってもよく、どこまでも胃袋がそそられます。
脂っこくもないので全然飽きない。いくらでも食べられてしまう。
まだほんの少し前なのに、もう既に懐かしいです。