エストニアの深い歴史
エストニアは、ロシア革命中の1918年に独立を宣言し、今は1918年2月24日がエストニア共和国独立の日とされています。
それから内戦を経て、ソビエト連邦がそれまで帝政ロシアの支配下に置かれていたエストニアやフィンランドの独立を承認し、1920年にタルトゥ平和条約を締結。
これで晴れてエストニアは名実ともに独立国家!と言いたいところですが、
第二次世界大戦が起こるとエストニアはラトビア・リトアニアとともにソビエト連邦に占領・併合されます。
1980年代後半に入るとエストニアで独立運動が盛り上がり、
条約締結からちょうど70年となる1990年2月2日に、かつて締結されたタルトゥ平和条約の有効性が宣言されました。
エストニアは1991年にソビエト連邦から独立回復に成功しました。
・・・が、ソビエト連邦後のロシアは今になってもこれを認めていないという事実をエストニアで知りました。
実はエストニアとロシアの間で領土問題が発生したんですね。
ソ連占領時代のエストニアの国境が、タルトゥ平和条約で定められた国境線よりも西方に移動したため国土の5%を失っていました。
しかしエストニアは独立回復の根拠をタルトゥ平和条約に据えたので、失われた5%の国土も当然回復されるものだとエストニアは認識していましたが、
ロシアはエストニアがソビエト連邦の支配下に入ったのは「自発的」だったとし、タルトゥ平和条約は無効であると主張。
要する自分たちから国境の根拠を放棄したと言うのです。
エストニアは強制的な併合であったためタルトゥ平和条約は有効である主張、双方の対立は今なお解消されていません。
エストニアとロシア、いずれが正しいか私には分からないですが、少なくともエストニアでは独立は1991年ではなく1918年と言うのが正しいとされています。
領土問題はどこの国も複雑ですな・・・。
以上、大禅ビル(福岡市 天神 貸事務所)からでした。