デザイナーたちの物語 アンドレア・パラディオ
弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。
そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、
そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。
とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。
本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。
◯ルネサンス期最後の偉大な建築家
今回ご紹介するのはアンドレア・パラディオ。
16世紀のルネサンス期のイタリアで活躍した、建築史上極めて重要で、後世に多大な影響を与えた建築家です。
パラディオはたびたびローマを訪れ、古代ローマの遺跡や当時の建築家の考古研究を行い、ローマ建築の論考『ローマ建築(Le antichita di Roma)』や古典風の劇を書きました。
こうした古代への豊かな知識は、厳格で古典を重んじる彼の建築の作風へ結実していきました。
彼の作品はイタリアのヴィンチェンツァやその周辺に多く存在し、その大半がパラッツォ(都市の宮殿)かヴィラ (田舎の別荘) です。
その特徴は、古典的モチーフの重視に加えて、ボリューム(量感)でなく面によって建築を捉える「書割的」な造形にあるといわれています。
晩年には、自身の作品と建築論の集大成である『建築四書』を出版し、後に「パラディオ主義」と呼ばれる潮流の形成へと繋がっていきました。
パラディオが設計したパラディオ式別荘や教会群はユネスコの世界遺産にも登録されています。
◯女神の名前を戴く
パラディオは1508年にパドヴァで生まれました。父親は粉引き職人でした。
パラディオが13歳の時、父の計らいでパドヴァの教会の祭壇などを手がけた著名な彫刻家、バルトロメオ・カヴァッツァ・ダ・ソッサーノの工房で6年間、石工の見習いをすることになります。
そこで石工・煉瓦職人のギルドに参加し、石工としてモニュメントや装飾彫刻の製作に従事しました。
修行は過酷だったと言われ、パラディオは工房を脱走することもあったそうです。
22歳で石工の親方として自らの工房を構えるに至り、30歳の時は詩人・学者であるジャン・ジョルジョ・トリッシーノに雇われ、彼の邸宅のリフォームを手掛けました。
パラディオはトリッシーノを伴って初めてローマを訪れ、古典的なモニュメントを実際に見て回り、感銘を受けます。
トリッシーノはパラディオにローマの歴史と芸術を教え、将来の建築物のインスピレーションを与えただけでなく、その「パラディオ」という名前も若き石工に与えたのです。
パラディオはギリシャ神話の知恵の女神パラス・アテネにちなんでおり、「賢い人」という意味です。
◯パラディオ様式の開祖
パラディオの偉大の所以は、「パラディオ様式」という彼の名前を冠した独自の建築様式を打ち立て、何世紀にもわたって評価されてきたからです。
ドリス式の柱、まぐさ、コーニス、ロッジア、ペディメント、ドームなど、イタリアのルネサンス建築の基本となる要素は、パラディオ以前の15世紀以前から既に用いられていました。
ただ、こうした古代ギリシアとローマの神殿建築の対称性、奥行き、価値観を洗練、簡素化し、現代美に調和させたのがパラディオでした。
パラディオは古典的なローマ建築に影響を受けているものの、それをむやみに模倣したわけではなく、建物の敷地や機能に適した要素を選び、革新的な方法でそれらを組み合わせています。
例えば建物は台座の上に置かれることが多く、これは建物を高くして目につきやすくするためで、そうすることで景色を楽しむことができます。
また、建物の上部の外側には、ロジアと呼ばれる屋根付きアーケードや通路が設けられていることが多く、眼下に広がる風景や街並みを眺めることができ、ファサードに変化を与えています。
ヴィラの建てる場所は丘の上にあったり、庭園や川に面していたりと、できるだけ自然の中に溶け込ませるように配慮されています。
サルリアン窓(ヴェネチアン窓、パラディアン窓とも呼ばれる)は、彼のスタイルに共通するもう一つの特徴で、建物の窓とロジアのアーチの両方に使用しています。
この窓は、アーチ型の窓の両側に2つの小さな四角い窓があり、柱頭と円形の窓や穴が付き、付け柱(飾り柱)で仕切られていることが多い。
後期の作品、特にヴァルマラナ宮殿やカピタニアート宮殿では、彼の作風はより装飾的になり、ファサードに彫刻的な装飾を施すなど、
後のバロック建築を思わせる傾向が見られるようになります。
詳細な図版や設計図を掲載したパラディオの著書『建築四書(I quattro libri dell’architettura)』は18世紀から19世紀にかけて何度も重版し、後世に絶大な影響を残しています。
建築構造・設計法と建築ルールについて述べた第1書、パラディオの住宅作品集の第2書、古代建造物・古代神殿についての第3・4書からなっています。
◯パラディオの代表作
彼の作品は多数に上りますが、代表作を3点ご紹介します。
ヴィラ・ロトンダ
正式名は「ヴィラ・アルメリコ・カプラ・ヴァルマラナ」。
1565年、司祭のパオロ・アルメリコはバチカンを退職した後、故郷であるヴェネツィアの田舎町ヴィチェンツァに戻って建てたヴィラです。
中央に円形のホールをもつ正方形平面の建物の四辺に、イオニア式円柱のポーチ(建物の入り口部分で、屋根とは別の庇を持ち、建物の外壁から突き出している部分)が付されており、
ファサードも含め、その外観は古代神殿を想起させます。
また、ポーチによってできる半屋外空間は「閉じた建物」という印象を弱め、列柱とその奥の壁面からなる複合的な外観が形成されています。
まさに、パラディオの理想が結実した建築です。
バシリカ・パッラディアーナ
正式名は「パラッツォ・デッラ・ラジョーネ」。
1444年に建造された市庁舎ホールを改築した建物です。
それぞれ異なる窓間隔をもつ既存の中世建築を、同一の大きさのアーチが等間隔に並ぶアーケードで覆っています。
アーチの両脇が2本の柱によって支えられているモチーフを「パラディアン・モチーフ(サルリアン・モチーフ)」という。
テンピエット・バルバロ
晩年に建設されたテンピエト・バルバロは、パラディオの最も完成度の高い作品の一つです。
円と十字の2つの古典的なモチーフを組み合わされた造形で、ファサードは2つの高い鐘楼の前方に置かれ、さらに高いドームが教会自体を覆っています。
視線を一段一段と上に引き上げる効果があります。
内部の壁の上部には手すりがあり、ドームの底面を隠しているため、ドームが空中に浮かんでいるように見えます。
このアイデアは後のバロック様式の教会にも多く採用されていました。
ファサード、内部ともに、円と十字、水平と垂直の絶妙な調和が取れた作品です。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。