アイリーン・グレイ
■インテリアに凝る大禅ビル
貸しビルを経営している身ですから、建築やデザインには自分なりにアンテナを張ったり、大禅ビル(福岡市 天神 賃貸オフィス)の空間づくりに取り入れることもあります。
貸しビル業は本質的には空間プロデュース業。
空間に価値を認めて頂いて、お金を頂く仕事だと思っています。
とは言え、私は専門的な教育を受けたわけではありませんから、本職の方とは到底比べられません。
本物のデザイナーは、既成概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在。その足跡の後に続いて新しい地平が拓けてゆくもの。
今回はそんな時代を革新した天才デザイナーの一人をご紹介します。
■28億円の椅子
2009年、オークションハウスの老舗・クリスティーズは、ファッションブランド「YSL」の創始者であるイブ・サンローランの遺品オークションを開催しました。
その中にあった「ドラゴンチェア(竜の椅子)」の落札価格が予想の数倍にまで跳ね上がり、
モダン家具としては当時史上最高の1950万ドル(約28億円)で落札され、オークション記録を樹立しました。
天文学的な値をつけられたこの椅子の作者はアイリーン・グレイ。
アイルランドが生んだ稀代のインテリアデザイナー、建築家です。
■既成概念への挑戦者
グレイは1878年、アイルランドのブラウンズ・ウッドで生まれました。
貴族出身の母が中流階級出身の父と駆け落ちして生まれた5人兄弟の末っ子でした。
彼女の父は自由に生きる風景画家、グレイに絵を描くことを薦めていたそうです。そして22歳の時に母とともに訪れたパリ万博で彼女は本格的にアートに目覚めます。
翌年にロンドンのスレード美術学校に入学。今でも世界トップクラスの超難関校です。
その後フランスに渡って絵画を学び続けるグレイでしたが、自分を表現するのはアートではないと思うようになります。
1905年イギリスに渡り、漆器修理店で働き出す。
アートからインテリアへの方向転換です。
1907年にパリに移り、フランス工芸界に多大な影響を与えた漆職人・菅原清三に師事した際、彼女は漆という東洋の伝統素材の中にモダニズムとの融合の可能性を見出します。
後に自分のアトリエを構えるようになると今度は菅原を雇い、漆塗りの屏風や装飾パネルといった斬新な漆家具を二人で表現していきます。
漆同様、インテリアの素材として当時ではまだ一般的でなかったクロム、鋼管、ガラスを作品に取り入れていきます。
完成されたスチール家具を最初に生み出したのはグレイだと評されているほどです。
常に実験し続け、結果的に時代の先駆者の役割を果たしていったグレイでした。
IKEAしかり、無印良品しかり、インテリアや空間にシンプルな機能美と心地よさを求める価値観は今日では当たり前ですが、その起源はグレイにあると言っても過言ではありません。
1919年、パリファッション界で有名なセレブリティ、スザンヌ・タルボットが自宅の居間の装飾をグレイに依頼したことがターニングポイントとなりました。
この案件は大成功を収め、すぐに名だたる著名人からグレイにサイン入りの作品をつくって欲しいと希望が殺到、
さらに建築界の巨匠・コルビュジエといったモダニズムを代表する人々の注目を集めました。
1922年にグレイは自分のデザインを発表する場として「ジャン・デゼール」をパリにオープン。
1920年代から1930年代にかけて、彼女はデザインにおいて革命的な潮流を創った第一人者の一人でした。
優雅で独創的なグレイの作品は富裕層の間で人気を博すようになる一方、まだ男性優位な社会であったため理不尽な風当たりや無視も多かったそうです。
■E-1027
グレイの恋人であり、建築家であったジャン・バドヴィチは、彼女の建築の才能を最初に信じた一人です。
バドヴィチは彼女に建築を学ぶよう薦めました。それまでグレイはインテリア以外のデザインをしたことがなかったのです。
ル・コルビュジエにも励まされ、彼女は2つの家を設計しました。
どちらの家もその時代の建築とインテリアデザインの最先端を代表すると評価されています。
そして語るべきは彼女の最高傑作である別荘、E-1027。
彼女がバドヴィッチと共に暮すために建てた作品です。
E1027という名前は、Eはアイリーン・グレイのイニシャルのE、10はジャン・バドヴィッチのJ(アルファベットの10番目)、2はBを、7はGを意味しています。
二人の関係を示す愛の暗号、と言ったところでしょうか。
「住む者の個性に寄り添う」
という彼女一流の信念のもと、使う人の動作、習慣を研究し、計算を尽くしたデザインが施されました。
どの部屋にも屋外と屋内をつなぐバルコニーがあり、理想的な採光と完璧な眺望を各部屋で実現。
建物の中心には仕切りのないワンルームのリビングエリアと、キッチン、バスルーム、書斎つきのベッドルームがあり、
ルーフガーデンのアウトドアキッチンは屋内の調理スペースとつながっています。
内部空間の装飾を廃しながら、家具や絨毯、照明などを配して空間を創っていき、家具一つ一つのディテールにまでシンプルな機能美を持たせました。
部屋から部屋に移動する時に生まれる感情までも考慮していたそうです。
この家の家具としてデザインされた家具群はのちに代表作として製品化され、今でも作り続けられています。
革張りアームチェア「ビベンタム」
楓材フレームとメタルジョイントの革クッション「トランザット」
サイドテーブル
などなど。
このうちサイドテーブルに至ってはニューヨーク近代美術館の永久コレクションに収められているほど有名な作品です。
岩だらけの土地に建てられたこの白亜の別荘は業界に衝撃を影響を与える結果となりました。
戦後、E-1027は幾多の不幸な変遷を辿り、貴重な家具が打ち捨てられたり、不法占拠されたりと荒れる一方でしたが、
2000年になってから、国が専任の建築家を指名し、修復作業が始まりました。
■創造のもとは、愛。
グレイは1950年代から視力の悪化により第一線を退き、1976年パリで亡くなります。98歳の大往生でした。
彼女はパリの墓地に埋葬されたのですが、家族は墓の費用を支払ってないため、今となっては埋葬場所が分からなくなったそうです・・・。
アイリーン・グレイは、20世紀の最も影響力のある、そして最も価値が見過ごされているデザイナーの一人と言われています。
画期的な空間と建築を生み出し、現代の私たちのライフスタイルや建築に対する理解の基礎をつくったと言ってもいい。
「創造は問いかけから始まる。未来は光、過去は影。物の価値は創造に込められた愛の深さで決まる」
最もよく知られたグレイの名言です。
孤高なデザイナーの生き方を貫く強い知性、そして愛に、ただただ痺れますね。