那珂川

那珂川

 

我らが博多を斜から跨ぐように流れる二本の川があります。

 

一つは御笠川、もう一つが那珂川で、いずれも福岡を代表する「地元川」です。

 

私は外回りで自転車をよく使うのですが、先日博多リバレインの近くを通った時に、

 

「そういえばこの中洲を挟むように流れる川ってなんて名前だったのかな?」

 

ふと思い調べてみたら、ああ、これが那珂川だったのね!と、名前はもちろん知っていたのですが、場所と一致したのは人生初でした。

 
那珂川
 

普段の生活、人との会話の中で川が話題に上るのはめったにありませんからね・・・。

 

釣りの趣味もないですし。

 
那珂川
 

さて那珂川ですが、その名前を冠する那珂川市と禅院とは、ちょっとしたご縁があります。

 

というのも「禅院」という珍しい名字は、那珂川市が本拠であると伝えられているからです。

 

行政区画の整理で那珂川市の前身である那珂川郡ができたのは明治11年なので、禅院の先祖様はその頃から住み着いていたのかもしれません。

 

那珂郡は、黒田藩お抱えの能楽師の大家・梅津只圓の生まれ故郷でもあります。

 

中々マニアックな偉人なので、知っている人は今や少ないでしょう。

 

梅津家は能楽の喜多流を相伝し、藩から士分に列せられた身分でしたが、維新を迎えて世はにわかに西洋崇拝に浮かれ始め、

 

伝統文化が隅に追いやられる中、能楽も衰退の一途をたどっていました。

 

そうした逆風の中でも、黙々と芸道の研鑽に励み、毅然として伝統を守り抜いたのが梅津只圓だったのです。

 

櫛田神社などの神事での能楽も執り行い、その名声は全国に轟いていたほどです。

 

死の直前まで弟子の指導に当たっていた、まさに芸に生き、芸に死んだ芸における偉人です。

 

その梅津只圓が好んだのは、那珂川での網打ちでした。

 

浅瀬で網を投げる姿を見るたびに、博多の町人たちは

 

「まだ只圓先生はお元気そうだね」

 

などと口々に言い合ったそうです。

 

町人たちにとって只圓は誇るべき我らが地元のスーパースターだったんですね。

 

那珂川は、そんな福岡の一片の記憶を留める場所なのです。

 

大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)も、関わる皆さんにとってそのような場所でありたいと思っています。

 
那珂川
 


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