製氷をめぐるストーリー
■「製氷」通り?
大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)のある舞鶴。このエリア最大の観光スポットがここ
「福岡城跡」
です。
軍師・黒田官兵衛の息子・長政の手によるこのお城、まあ今は広大な石垣を残すのみですが、
その広大さゆえに舞鶴公園として整備され、地域に開かれた空間としてあり続けたからこそ、人との交わりが今なお絶えない所以なのかなと思っています。
福岡城跡と人と取り結ぶ関係性は、単なる観光スポット以上に、お祭りの「ハレの場」でもあり、日常の一部をなす「ケの場」でもあるわけです。
県外、海外からの友人が訪れた時も、大濠公園と合わせて決まってご案内させて頂く、言わば鉄板スポット。
特に春に桜、夏に蓮が咲き乱れ、自然が醸す華やかさはなんとも魅力的です。
さて、ここの蓮池そばの歩道を大濠公園に向かって歩いていると、平和台交差点のところで舞鶴公園へと上っていく幅広な坂道が現れます。
この交差点から車道を挟んだ道の向こうに目にやると、通りの入り口にこのようなアーチが目に付きます。
「九州製氷 氷販売」
と。
福岡城ほどでないにせよ、こうした古式ゆかしきアーチ看板は、今となっては商店街でしか見られないのですが、
アーチの向こうは何か商店街めいた風景なのかと言えば、そうでもなく。
「製氷」というと、じゃあ氷を売る卸屋が集まる通りなのかと言えば、そうでもない。
普通のマンションが立ち並んでいるだけです。
そもそも商店街ならば
「○○通り」「なんとかロード」
といった表記がされるはず。
看板でアピールされている氷の気配が、周辺数十メートルからは全く感じられない、なんとも唐突でシュールなアーチ。
と、まあ昔に初めてこのアーチ看板を目にした時は思ったものです。
■氷をつくる!
「九州製氷」は名前の通り、氷をつくる福岡地元の氷メーカー、1946年に創業された老舗企業です。
会社はアーチ看板から海側に向かって徒歩10分のところにあります。
だいぶ離れていますね・・・。
なぜこんなに離して建てたのか、謎です。
もしかして海岸が埋め立てられるよりも前に、もっと福岡城跡寄りの陸の方に会社があったのかもしれませんね。
全身ピンク一色!かなり目立っています。
氷。
レストランで出されるお冷、かき氷、生魚の保存時以外に、普段取り立てて気にする機会が少ない代物。
しかし氷は私たちの食だけでなく、医療はじめ、しいては人類社会に多くの恩恵をもたらしてきたれっきとした「技術」です。
大昔の古代では、もちろん今のように氷を人工で製造する技術はなかっため、使われていたのは天然氷で、
降雪、万年雪、氷河、湖や河川の自然結氷などから氷雪を調達し、ワインといった飲み物を冷やしたり、食品の保存に用いたりしていました。
紀元前5世紀のエジプトでは夜間の天空放射を利用して小規模ながら氷を生産しており、同時期のギリシャのアテネでは雪が市場で売られていたそうです。
当時のヨーロッパではワインを水で割ることが文明人の作法とされ、ワインを雪氷で割ることもありました。
しかし雪氷の汚れが飲み物に入ってしまうので、ローマ時代になると水の入ったガラス容器を雪で囲んで冷やし、
その水でワインを割るようになったと言われています。
時代が下って、14世紀のフィレンツェから氷で冷やしたワインが好まれるようになったといわれております。
16世紀のフランス王・アンリ3世の時代のフランス宮廷にイタリア伝来の作法として氷で冷やしたワインが登場するようになり、
これが今日のワインの飲み方になっていきました。
17世紀になるとイタリアでは氷販売が事業化となります。
備蓄可能な雪井、氷セラーを有する貴族が登場し、氷で冷やした果物やワイン、氷で固めたゼリーがブームになります。
ちなみに日本での天然氷の利用に関する最も古い文献は日本書紀とされており、
およそ300年ごろに、冬に採取した氷を貯蔵する氷室に関する記述が登場し、さらに氷が仁徳天皇に献上されたと記録されています。
紀元前1000年の古代中国でも農業儀礼に氷雪が使われたといった詩句も残されています。
■医療目的のための氷
中世になると飲食物を冷やすことから、医療、加工食品への氷の用途が広がっていきます。
10世紀にラシスという名のアラブの医師が、氷砂糖を溶かした水を冷やして健康保持剤として処方されたという記録があります。
今で言うところのエナジードリンクの位置づけですね。
この処方は「sherbet-i-kand」と呼ばれ、私たちが今日食べているシャーベットの起源になります。
中世イスラム最高の知識人であり医学者であったアヴィセンナは、
胃の悩み、肝臓の熱病、心臓の震え、歯痛の患者用の水を雪氷で冷やすことを薦めていたそうです。
ちなみに製氷技術に関しては、ペルシャでは早くから製氷設備が運用され、
15世紀には大規模な貯氷庫や冷却放射による大規模な製氷設備が存在していたと推定されています。
■日本では氷は流行らなかった!
転じて日本。氷利用が大衆化されることも、製氷技術が進展することもなく。江戸時代に加賀藩が幕府に献氷したとの記録があるくらいです。
天然氷の利用が一般的になるのは明治時代になってからです。
日本における天然氷の商業利用は中川嘉兵衛という男から始まりました。
当時中川は日本にいた外国人相手に牛肉を販売していました。
しかし肉を運ぶのは簡単ではなく、肉を腐らせてしまうことも多々あったそうです。
これを解決するために天然氷の利用を思い立ったと言われています。
中川は貯氷庫を作り、関東から東北へと良質な氷を探し求め、数度の大失敗を経て、ついに函館の五稜郭に大量の良質な氷を採掘することが出来ました。
彼の氷は氷質が硬くで、のちに「函館氷」ブランドとしてもてはやされます。
この函館氷の成功に刺激され、関東・関西で採氷業者が増え、天然氷の全盛時代を迎えます。
肉や魚の鮮度保持用途に主に使われていました。
乾燥と塩漬けとならぶ、第三の食品保存方法として天然氷が登場したわけです。
■ついに登場!冷えたスイーツ!
シャーベットはアラブからヨーロッパ世界にエナジードリンクという形で伝来しましたが、17世紀のフィレンツェでは凍らせたカスタードが登場します。
ナポリではすでにシャーベットのほかに、様々な氷菓がつくられていました。みんな大好き、氷果の登場です。
この時ヨーロッパの多くの国では一般大衆にもワイン、果物、甘い飲料を氷で冷やすことが根付いていました。
イタリア全土で夏に雪が販売され、誰でも氷が買えました。
氷果、つまり冷えたスイーツですが、氷果の王様と言えば、
「アイスクリーム」
ですね。
今日のアイスクリームの形はおそらく違うかと思いますが、1769年にはドメニコ・ネグリという人物がロンドンでアイス販売店を開業します。
この頃にはロンドンでcream icesが大流行を果たします。
東アジアでアイスクリームが流行り始めたのは20世紀入ってからで、例えばロシアではソ連時代にアイスクリーム工場が建てられています。
ロシアといえば極寒の地なはずですが、ロシア人のアイス好きには気温はあまり関係ないようですね。
それから中国は、体を冷やすことを避ける中医学の考え方からか、雪氷を決して口にしない風習が長らく続いてきておりました。
ただ、20世紀に入りアイスクリームフリーザーが北京に登場するとアイスクリームが瞬く間に大人気となりました。
そして、1930年代に中国最初のアイスクリーム工場が稼働し、年間売上はあっという間に年間1000トンに上ります。
氷の技術から生まれた氷果が、まさに何千年にわたって根付いてきた食文化に大きな変化を与えたわけですから、凄いインパクトです。
たかが氷、されど氷。
「冷やす」という一つの機能で、私たち人類の生活に実に多くの豊かさをもたらしてくれた恵みなのですね。