舞鶴今昔物語-長浜ラーメン発祥の地

前回のコラムでご紹介したように、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)の位置する舞鶴は「福岡」発祥の地として、また黒田家による行政の中心地として地域とともにその歴史を重ねてきました。

 

齢400年に上る福岡城とは比べものになりませんが・・・

 

大禅ビルも一応は舞鶴の「老舗不動産」のポジションを張らせて参りましたので、舞鶴への思い入れは人一倍強いと自負しております!

 

舞鶴の魅力をもっと皆様に知って頂きたい!(そしてできれば、物件を検討頂きたい!)

 

ので、天神・博多エリアと比べても遜色ない魅力が沢山詰まっている舞鶴周辺を今後不定期でご紹介できればと存じます。

 

今回は「長浜」です。

 

那の津通りを挟んだ大禅ビルの向かい側、海に接する横長のエリアで、大禅ビルのすぐ目の鼻の先、なんなら窓からそのまま見えます。

 

博多漁港、中央鮮魚市場があり、潮風が吹く漁師さんたちの仕事場なのです。

 

同時にこの地は、福岡人のソウルフードである「ラーメン」の一角を占める「長浜ラーメン」が広まった土地でもあるのです。

 

■長浜ラーメンと博多ラーメン

白濁の豚骨スープに極細のストレート麺。

 

替玉に硬さ指定。博多ラーメンの基本構造。

 

日本のほかの地方のラーメンもあれど、今や日本どころか世界に名を馳せているのは博多ラーメンでしょう。

 

博多ラーメンを一気にジャパニーズ・フードの代表選手に押し上げたのは、一蘭、一風堂、一幸舎といった並み居る博多ラーメンの名店たちの努力と情熱の賜物です。

 

しかし、厳密に解釈すれば福岡のラーメンを十把一絡げに「博多ラーメン」と呼ぶのは正しくありません。

 

他県、海外での知名度は低いものの、博多ラーメンと同じくらいに地元民に愛されてきたもう一つのラーメンの流派が

 

「長浜ラーメン」

 

なのです。

 

 

例えるならば、大都会や海外でお洒落にブイブイ言わせているのが博多ラーメンだとすれば、長浜ラーメンはまさに地元民の地元民による地元民のための、地元感を貫く老舗の暖簾と言えそうです。

 

■長浜ラーメンとは何者か?

では長浜ラーメンと博多ラーメンの違いは何か?

 

確かに同じ豚骨ラーメンの系譜で、明確な区別も曖昧なのですが、両者の歩んできた歴史が違います。

 

長浜ラーメンはもともと漁師さんたちのためのインスタントフードとして誕生しました。

 

1953年に開業した屋台「元祖長浜屋(ガンナガ)」がその発祥だと言われています。

 

元祖長浜屋a

 

なぜ漁港でラーメン文化が栄えたのか?

 

実は創業当初は長浜ではなく、中洲などの町中に出店していたものの売れなかったと言います。

 

そこで当時大浜にあった魚市場前で営業するようになると、盛況になり、そして1955年に大浜魚市場が今の長浜に移転、「福岡市鮮魚市場」としてスタートした際に、店も移転したそうです。

 

魚市場a

 

そこで魚市場で働く人たちの支持を受けて一層繁盛し、長浜屋台街ができるようになりました。

 

長浜ラーメンの特徴でもある細麺も、競りなどで忙しく時間がない魚市場の人たちのために、茹で時間を短縮し素早く提供出来るように工夫したのが最初でした。

 

よく言われているように「スープがよく絡むために細麺にした」のがきっかけではないんですね。

 

でも結果的に細麺は濃厚な豚骨スープとよく絡み、長浜ラーメンの美食度の底上げに貢献したのは間違いありません。

 

まさに偶然がもたらした美食とも言えそうです。

 

もし当時の店主がお店を漁港ではないほかの場所で営業しても、長浜ラーメンはここまで美味しく、文化となるまで支持を受けなかったでしょうから。

 

伸びやすい細麺のため、麺の量は少なくしてお替わりが出来る「替玉」システムも元祖長浜屋から始まりました。

 

これが今日の長浜ラーメンや博多ラーメンの基本スタイルとなっていきます。

 

一方、既に人口に膾炙している博多ラーメンの源流は「あっさり系豚骨醤油スープ」なのです。

 

1940年に中洲の福岡玉屋近くの博多川沿いの屋台「三馬路」が、清湯(透き通ったスープ)の豚骨スープに平麺のラーメンを提供したのが博多ラーメンの始まりだと言われています。

 

当時は「博多中華そば」とも呼ばれていました。

 

諸説はあるものの、博多ラーメンの原型は確実に長浜ラーメンの影響を受けていますし、福岡のラーメンシーンにおける一大流派を成したのは確かでしょう。

 

■長浜ラーメンと吉野家の牛丼の共通点

長浜ラーメンがなぜ漁港で受けたのか?

 

もちろん美味しくて食べやすく、腹いっぱいになれる究極のファーストフードだったのもありますが、一番の理由として

 

「魚以外の料理が食べたかったから」

 

が挙げられることもあります。

 

確かに魚市場というと、いつでも新鮮で美味な魚が手に入り、食べ物に困らない印象です。

 

しかしよくよく考えてみれば、朝昼晩と三食ぶっ通しで魚だと、いくら魚好きな人でも食べ飽きてしまいます。

 

魚じゃなくて肉も・・・あっさり系じゃなくてたまには脂っこい飯も・・

 

食欲のド真ん中を直撃する長浜ラーメンは、そんな漁師さんの胃袋から放たれる声ならぬ叫びにすっぽり応えた「幸せの完全食」だったのです。

 

実は長浜ラーメンと似た経緯で広まったもう一つの日本食があります。

 

それは「牛丼」です。

 

今や日本を代表するファーストフードとして世界進出も果たした牛丼がここまで広まったのも、日本橋と築地の魚市場で店を構え、「

 

牛肉+ご飯」という黄金比を編み出した「吉野家」によるところが大きいです。

 

魚文化であるはずに日本からラーメンと牛丼が生まれたのはなんとも面白いですね。

 

■価値上昇中!舞鶴地区

豚骨ラーメン発祥の地・長浜。

 

大禅ビルの建つ舞鶴エリア周辺にはまだまだ多くの知られざる物語が残っています。

 

一般の方からすると博多や天神の陰に隠れて、なんだか目立たない土地だなという印象を受けるかもしれませんが、

 

物語が生まれるということは、その土地に新しい価値を生むポテンシャルが秘められていると言ってもよいかもしれません。

 

そして舞鶴及び周辺エリアは、今まさにその価値を上昇させつつあるのです。

 

理由は3つの側面から説明できます。

 

一つ目は「歴史・文化ゾーン」。

 

福岡城跡を始め、古代から近代にかけての福岡の歴史を刻んだ名残りが点在しており、時代の薫りを留めた旧跡・名所が数多く存在しています。

 

少し足を伸ばせば福岡で最も美しい言われる大濠公園が広がり、能楽堂、日本庭園、市立美術館が周辺を固めています。

 

福岡有数の観光拠点、そして歴史に彩られた高い文化性を備えた「ビジネス&カルチャー」エリアとしてのブランドの可能性が舞鶴エリアにあります。

 

二つ目は「オフィスゾーン」。

 

天神・博多は商業地区の中心として注目されがちですが、舞鶴エリアの持つ商業機能もかなりの存在感です。

 

福岡法務局、高等検察庁、裁判所(高等、家庭、簡易)、公証役場(大禅ビル内)、中央区役所、年金事務所、保健福祉センター、法曹関連事務所など法曹・行政機関に加え、

 

郵便局、銀行(西日本シティ銀行、福岡銀行、北九州銀行)、更にドコモ、東芝、電通、読売新聞、県水産会館が集積しています。

 

公共交通機関の地下鉄、西鉄バスはいずれも徒歩圏内、更に福岡の中心部・天神へは徒歩15分、

 

地下鉄で福岡空港へは10分と交通アクセスは抜群、通勤・出張に最適なビジネス環境なのです。

 

三つ目は「文教ゾーン」。

 

2014年に新しく設立された舞鶴小中学校がきっかけとなり、舞鶴エリアではファミリー向けマンションの建設ラッシュが進み、子育て世帯が増加しています。

 

近くには豊かな花木と蓮池に彩られた福岡城跡、市民の憩いの場となっている広大な舞鶴公園、更に博多湾の青い海が広がっています。

 

緑や水の憩いの場が近くにあるオフィス環境は、都会の中では貴重そのもの。

 

生産性と創造性を刺激してくれる重要なファクターです。

 

ぜひお越しになりご覧になってはいかがでしょうか。

 

もちろん、長浜ラーメンもぜひ。

 

福岡へのパスポートですので、これを啜らないことには福岡に来たとは言えないでしょう。

 

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