建築史シリーズ 日本の近代建築㉕

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的に教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナー、建築家というのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

このシリーズではそうした美に携わってきた建築家たちを中心にご紹介していきます。

 

◯戦後日本の建築界をリードした坂倉準三

坂倉準三は昭和2年渡欧し、昭和6年から1年まで近代建築の巨匠ル・コルビュジエに学んだ建築家の一人で、同じくコルビュジエに学んだ前川國男とともに戦前から戦後にかけての建築界をリードした人物です。

 

坂倉は、昭和2年にパリ万国博覧会の日本館を設計しました。

 

建築の新たな表現として鉄骨を利用して近代建築の合理性を追求しながらも、繊細な柱による日本的な独自性を構造で表現しました。

 

市村記念体育館

 

 

佐賀城公園内に建設された体育施設で、構造にHPシェルの吊り屋根と折板が採用された作品です。

 

坂倉が設計した唯一の現存する体育館として作家性を示す貴重な建築となっています。

 

構造技術を建築デザインの質を高めることに利用したことで、構造が美学的な側面を担うようになりました。

 

坂倉が用いた折板構造は、鉄筋コンクリートの平面板を組み合わせて構成する構造で、一般的には屏風状にジクザグに折り曲げた壁面構造を指します。

 

新宿西口広場・地下駐車場

 

 

新宿副都心は、 国鉄 (現JR東日本) や地下鉄、私鉄、タクシー、 路線バスなどの交通が集中する場所。

 

新宿駅に乗り入れる私鉄線(小田急、京王)の開発が進むなかで、その起点となるターミナル駅として、各交通機関を一つにつなぎ合わせることを目的に、西口に地下広場が設けられました。

 

既存の地下レベルを基準に、これを拡充再整備して商店街や地下広場を備え、各交通機関からの乗降客を地下で結び付けたことで、車の往来が激しい地上と、乗降客の歩く地下を分離しています。

 

車を中央のらせん状のスロープ(車路)で地下駐車場へと引き込んだことで、西口広場の象徴的な姿が形成されました。

 

スロープ側面からは地下への採光も取っています。

 

◯伝統と合理性の融合・浦辺鎮太郎

浦辺鎮太郎は、岡山県の倉敷で活躍した建築家です。

 

第2次世界大戦後の建築界が近代合理主義と日本の伝統建築の意匠との統合を軸に展開するなか、それとは異なる方法で建築に取り組んでいました。

 

倉敷アイビースクエア

 

 

地域に親しまれ、町の風景の一部として溶け込んでいた明治22年竣工の倉敷紡績所本社の旧工場をその歴史的特徴を生かしながら、ホテルを主体とした複合施設に再生させた作品です。

 

故郷である倉敷の文化や風景の保存、環境造成を常に意識し続けた浦辺の真骨頂が示されています。

 

昭和40年代は、ニュータウンによる大規模開発が進むなか、古都の景観を守る古都保存法が成立するなど、開発と保存の激動の時代でした。

 

そのなかで浦辺は、故郷の歴史や風景を継承する方法を考え、倉敷紡績発祥の工場を開発的な手法で転用することで保存しました。

 

今で言うところのリノベーションの先駆けですね。

 

内部も可能な限り解体した材料を再利用するという方針が取られています。

 

倉敷国際ホテル

 

 

倉敷を国際的な文化都市にしようという機運のなかで計画された国際ホテル。

 

鉄筋コンクリート造地上4階、地下1階建て。外観は倉敷の街並みに多い白壁が意識されました。

 

壁面から傾斜をつけた帯状の軒庇を交互に配し、各階には当地の土蔵に見られる正方形のなまこ壁のようなタイルを蛇腹状に貼り込んでいます。

 

和洋折衷的な建築ですが、和をことさら強調する雰囲気は一切なく、倉敷の街や風景が意識された落ち着いた雰囲気をもっています。

 

建物全体が中央部を凹ませる出で立ちになっています。

 

これは圧迫感を抑えると同時に屋上に載る2本の塔屋の間から空に視線を抜くことで、建物を高く感じられる工夫です。

 

◯学校建築の名手・松村正恒

松村正恒は、愛媛県出身の建築家です。

 

松村は学校建築をいくつか手掛けていますが、教育そのものへの理想を建築で実現しようとした点が最大の特徴であると言われています。

 

日土小学校

 

 

松村が活躍した八幡浜市に残る木造モダニズム建築の傑作。

 

卒業制作で託児所建築を研究していた松村は、教育施設に対する並々ならぬ意欲をもっており、学校の環境や教育を変革させることに目的をおいていました。

 

そのため、学校建築には特に意欲的に取り組んでいました。

 

教室は一般的な学校のように並列していますが、廊下は分離して教室と距離を置き、その間に光庭を確保して廊下から房状にアクセスするというクラスター型の教室配置としています。

 

光庭を設けることで、 教室からは山の斜面と川に面した南東側の眺望を確保し、北西側からの採光も可能にしています。

 

木造モダニズム建築の代表例として、松村の没後に文部科学大臣から重要文化財に指定されました。

 

戦後の学校建築では初の指定だそうです。

 

◯日本近代建築の巨匠・丹下健三

日本の建築界を切り開いたのが辰野金吾ならば、日本の建築を世界レベルに押し上げたのが丹下健三です。

 
丹下健三10
 

丹下が建築家を志すきっかけとなったのは、旧制広島高校で学んでいた頃に雑誌でル・コルビュジエの作品に触れたことでした。

 

昭和26年にロンドンで開催された第8回CIAM (国際近代建築会議)に参加した際、敬愛するコルビュジエに会い「やっぱり尊敬している人が目の前にいると、ちょっと感動しますよ」と回想したそうです。

 

広島平和記念資料館を含む広島市平和記念公園

 
広島平和記念資料館2
 

丹下健三の代表作です。

 

1949年に広島平和記念都市建設法制定に基づき、爆心地周辺である原爆ドーム(原爆投下時は広島県産業奨励館)近くのエリアを平和公園として整備する計画が進められますが、それに先立ち、広島平和記念公園と記念館の設計コンペが開催され、そこで一等に当選したのが丹下健三でした。

 

丹下の設計は、平和大通から中央の広島平和記念資料館を支えるピロティを抜けて、慰霊碑、原爆ドームを一直線に望む都市軸を提案したもので、本館はピロティの上に水平に広がる展示室という構成で、これには丹下が尊敬してやまないル・コルビュジエの作風に見られる端正なモダニズムが反映されています。

 

資料館に連なる広島国際会議場は、日本建築の木割をイメージしたようなデザインになっており、機能的な繊細さを感じさせます。

 

コンクリート打放しの本館の端正なプロポーションを、ピロティで大地から持ち上げることによって焦土からの復興を力強く印象づけています。

 

丹下はこの案件に取り組むに当たって、コルビュジエの作品はじめ、法隆寺や厳島神社の伽藍の配置、正倉院、伊勢神宮、桂離宮など日本の伝統建築からもインスピレーションを求めました。

 

西洋起源のモダニズム様式と日本建築の伝統様式の融合が実現したのがこの広島平和記念公園であり、戦後の日本建築はここから始まったと言われるほど記念碑的な作品です。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 

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