建築史シリーズ 日本の近代建築㉔

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的に教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナー、建築家というのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

このシリーズではそうした美に携わってきた建築家たちを中心にご紹介していきます。

 

◯ル・コルビュジエの弟子

前川國男は1905年、新潟県で生まれました。父は内務省土木官僚、母は旧弘前藩士の家の出という恵まれた環境でした。

 
前川國男6
 

勉強もできたようで、東京帝国大学で建築を学びます。

 

在学中、岸田日出刀という先生がヨーロッパ留学から持ち帰った4冊の本を見て、彼は衝撃を受けます。

 

それが後に「近代建築の巨匠」と讃えられるル・コルビュジエの作品集だったのです。

 

当時のル・コルビュジエはまだ巨匠とまではいかなくても、新進気鋭の建築家として徐々に名が知られるようになっていました。

 

ル・コルビュジエの作品を目にした前川國男はいてもたってもいられなくなり、大学を卒業するやいなや単身でシベリア鉄道に乗って渡仏、ル・コルビュジエの門を叩きます。

 

ル・コルビュジエ最初の日本人弟子が前川國男だったのです。

 

この出会いが、近代建築に捧げる彼の一生を決定づけました。

 
コルビュジエ11
 

前川はコンペにこだわり挑み続けた建築家でした。

 

前川は明治以来の日本に岩盤のように積み上がってきた歴史様式派に立ち向かい、数々の設計競技に参加するも落選し、1等当選しても実現しないという敗北の日々を味わっています。

 

前川がフランスから帰国してみると日本は国家主義的な傾向にあり、フランスで学んだ建築とは正反対の傾向に建築界の主張は進みつつありました。

 

このような日本の現実とかけ離れた自分の考えを主張する道はコンペティション以外ないのではないかと考え、これ以降「コンペに応募する」という原則を立て活動を続けたのです。

 

東京文化会館

 
前川國男6
 

鉄骨鉄筋コンクリート造地上4階、地下2階建ての建築です。

 

上野公園の玄関口に位置する施設で、北東側に師であるル・コルビュジエによる西洋美術館と向き合う場所に立っています。

 

大ホールは主としてオペラやクラシックなどを催す音楽ホールで、六角形平面とし、大きな広さを確保しています。

 

高さ12mに上る大ホールがあれば、その造形が外観に現れてくるものですが、平面計画で高低差を設けて断面を操作し、コ・ルビュジエのロンシャンの礼拝堂を思わせる曲面のある庇を用いることで、ホールの存在を把握させない工夫をしています。

 

神奈川県立図書館・音楽堂

 

 

鉄筋コンクリート造と鉄骨造を併用した地上3階、地下1階建ての公共施設です。

 

前川は当時はまだ性格が明確に規定されていなかった県立図書館という課題と、設計の基礎データの確立されていない音楽堂の組み合わせという課題に取り組む上で必要なデータを揃えることに苦心し、それまで続けてきた建築生産の工業化と工法精度の向上にここでも傾注したようです。

 

この建物は、平成5年に再開発計画で取り壊しの危機に陥った時に、保存要望の署名を数万人集めたことでも知られています。

 

◯工場建築の旗手

谷口吉郎は石川県金沢市出身の建築家で、東宮御所、帝国劇場の設計者として知られ、また庭園研究者でもあります。

 

谷口は昭和3年から翌年9月までドイツを中心としたヨーロッパを訪れており、その影響もあって特に初期には白い箱と大きなガラス窓によるバウハウス風のデザインが特徴でした。

 

谷口は博物館明治村を開村に導き、明治建築の保存を実現した建築家でもあります。

 

東京国立博物館東洋館

 

 

東洋館は、鉄骨鉄筋コンクリート造と鉄筋コンクリート造で、地上3階、地下2階建てです。

 

内部は中央を3層分吹抜けとし、東西方向の平側の壁から2階、3階の床を室内側に向かって持ち出すようにしており、吹き抜け中央部には棟持柱のような象徴的な柱を立てています。

 

秩父セメント第2工場

 

 

谷口は、卒業制作は伊東忠太のもとで製鉄所、 大学院では佐野利器のもとで工場建築を研究し、デビュー作は東京工業大学水力実験室第1期であったため、工場建築の計画に長けていました。

 

その谷口が手掛けた秩父セメント第2工場は工場建築の名作です。

 

壁面を縦長のパネルで割付け、屋根をヴォールト状とすることで、柔らかくリズミカルな印象を生み出しています。

 

南東側に一部残る煙突は、塵挨を大気中に排出しないよう電気集塵機を導入しています。

 

このような振動を伴う設備が多いため主要部は鉄骨鉄筋コンクリート造となっています。

 

秩父鉄道の線路に沿うように240mの長さの原料貯蔵庫が建ち、これを中心にして西側に向かって徐々に高さが抑えられるよう各工場のボリュームが調整されています。

 

◯研究する建築家・明石信道

明石信道は明治34年に函館で生まれ、早稲田大学建築学科教授を務めた建築家です。

 

建築家としてのデビューは早く、大学卒業前後に担当した東京新宿の映画館「武蔵野館」が初仕事でした。

 

卒業後は設計事務所を自営しますが、世界規模の大恐慌の影響もあって、建築の世界では鳴かず飛ばずだったそうです。

 

また、明石は「旧帝国ホテルの実証的研究」で建築学会賞を受賞しています。研究者としての側面も持っていた建築家でした。

 

安与ビル

 

 

新宿駅東口ビルの脇に立つ商業施設で、八角形平面を回転させて、各フロアを積層させた形状が特徴的です。

 

建物は格子で覆われており、日中は南からの日差しを和らげ、夜間はライトアップによって生じる明暗が立体感を生み出しています。

 

棒二森屋百貨店

 

 

昭和9年に函館で起きた大火後に金森森屋と棒二萩野の2つの百貨店が合併し、新築移転してできた建物です。

 

明石に設計が依頼され、竣工後も幾度となく彼の手によって増改築が行われてきました。

 

◯孤高に生きた白井晟一

白井晟一は、昭和期の住宅において和風を手がけた代表的な建築家として知られています。

 

一方で、その独特な作風や言説から「哲人建築家」「異端の作家」などと称されることもありました。

 

作風としては、ロマネスク建築のような独特の外観と、材料の扱い方の妙、質の高いディテールで知られ、いまだ多くの建築家に注目されています。

 

善照寺

 

 

浄土真宗東本願派の寺院で、本堂は鉄筋コンクリート造壁式構造、平屋建てです。

 

壁式構造でありながら開口と四隅に付柱を見せ、真壁造の伝統を継承しています。

 

水平に持ち出された回廊は床下に深い陰影をつくり出し、鉄筋コンクリート造壁式構造の重々しい建物を浮いたように見せています。

 

室内には八角形の柱を立て、伝統寺院のイメージを継承しています。

 

白井は「仏寺は仏像と同じように、決して神秘的なエクスタシーの能力として求められるものではない。しかし、人間内面へ沈潜する雰囲気のなかで、瞑想という主体の実践を包む空間として、聖と俗とのもっとも高い調和を導くモメントとなることも忘れてはなるまい」と述べています。

 

石水館

 

 

石水館は、染色工芸家の芹沢鮭介の作品とコレクションが寄贈されたことをきっかけに、これらを展示する静岡市立芹沢佳介美術館として昭和56年に竣工しました。

 

国特別史跡登呂遺跡のある登呂公園内の一角に建つ鉄筋コンクリート造壁式構造平屋建ての施設です。

 

石水館という名は、白井の好んだ京都の高山寺の石水院に由来するとされています。

 

石を主たる素材として用いており、ここでは赤御影石の割肌仕上げで外壁及び内壁の一部を構成しています。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 

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