建築史シリーズ 日本の近代建築⑭

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的に教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナー、建築家というのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

このシリーズではそうした美に携わってきた建築家たちを中心にご紹介していきます。

 

◯伊東忠太

明治から昭和にかけて活躍した建築家、伊東忠太。

 

 

西洋建築学を基礎にしながら、日本建築を本格的に見直した第一人者で、法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示し、日本建築史を創始した建築史家でもあります。

 

明治32年に帝国工科大学の学長であった辰野金吾が伊東を東京帝国大学工科大学助教授とし、建築学第3講座 (建築史) の運営を開始します。

 

伊東の意匠や理論の礎となった原点は、建築学研究のために訪れた中国、インド、トルコへの留学です。

 

この経験を踏まえて伊東は建築進化論を唱えるに至ります。

 

建築進化論は、世界における建築の発展の歴史から抽出した進化の原則をもとに、日本建築の進むべき道を提唱するもので、伊東の建築理念の軸を成すものです。

 

日本古来の建築の意匠を取り入れつつ、材料や構造の変換を図りながら新しい建築様式の創造を目指しました。

 

築地本願寺

 

 

築地本願寺は、東京都中央区築地にある浄土真宗本願寺派の寺院です。

 

鉄筋コンクリート造一部鉄骨鉄筋コンクリート造2階建て、一部地下1階、 塔屋付で昭和9年に竣工しています。

 

建立は江戸時代で、関東大震災で地震による倒壊は免れたものの、すぐ後に起こった火災で再び伽藍を焼失します。

 

現在の本堂は1934年の竣工されたものです。

 

再建された建物は、以前の姿とは全く異なったインド建築の要素を取り入れました。

 

まず検討されたのは耐震性·耐火性。以前の建物は木造であったことから、コンクリート造による建築方針が取られました。

 

同時に検討されたのは、寺院のあり方です。

 

従来のような伝統的な形式を望む声がある一方、新しい時代に対応した新しい形式の寺院を望む声も挙がっていたのです。

 

そして、その方針の検討を含めた設計を依頼されたのが伊東だったのです。

 

築地本願寺の計画に関して伊東は、純日本古式の形式は合理的でないと退け、中国やインドの様式を取り入れる設計を行いました。

 

築地本願寺は竣工まで7年かかりました。

 

完成した建築は、角張った柱頭やストゥーパ状の鐘楼など、伊東独自の解釈によるインド建築の要素を多く盛り込んだ外観となり、これまでの日本の寺院のイメージを大きく覆すものでした。

 

完成から1世紀近く経過した現在でもその斬新さは衰えることはなく、むしろ築地のシンボルとして大きな存在感を示しています。

 

平安神宮
 

 

平安神宮は、明治28年の平安遷都千百年紀念祭及び第4回内国勧業博覧会の会場施設建設に際して、紀念殿建築と称して建てられたもので、平安京内裏大極殿を模して建てられました。

 

当初は模造するだけの予定が、並行して桓武天皇を祀る本殿を建てることとなり、神社として整備されます。

 

設計は宮内省内匠寮技師の木子清敬と、木子に抜擢された大学院生の伊東が行いました。

 

社殿は平安京の大内裏の正庁である朝堂院を縮小して復元したものです。

 

大きく赤く光る朱色が特徴的な正面の門は、朝堂院の応天門を模しています。

 

大極殿の背面に本殿が据えられているため大極殿が拝殿の役割を担っています。

 

本殿は、昭和15年に建て替えられましたが、 昭和51年に放火により焼失し、その後、 再建されました。

 

現在は、大極殿、東歩廊、西歩廊、蒼龍楼、白虎楼、鷹天門が重要文化財に指定され、 昭和前期に整備された境内施設14件が国登録有形文化財となっていいます。

 

◯長野宇平治

長野は、辰野金吾の教え子になる日本の西洋建築第2世代の一人です。

 

 

明治初期から続くヨーロッパの古典様式を進めた人物です。

 

デビュー作の奈良県庁舎は、和洋折衷様式の表現でしたが、辰野のもとで日銀の各支店を手掛けるなかで古典主義に傾倒し、より完成度の高いものを求めるようになりました。

 

ルネスホール
 

 

日本銀行岡山支店として建てられた、レンガ造及び石造2階建ての建築です。

 

小屋組には鉄骨トラスが用いられ、ギリシア神殿のような堂々たる古典主義の雰囲気を漂わせています。

 

横浜市大倉山記念館

 

 

洋紙の実業家で後に東洋大学学長を務めた大倉邦彦によって創設された大倉精神文化研究所の施設です。

 

現在は横浜市指定有形文化財となっています。

 

古典主義表現の可能性を追求し、研鑽を積んできた長野は、この建物でそれまでの正統的な古典様式の流れを崩した異なる印象の意匠を実現させました。

 

プレ・ヘレニズム様式を基調とし、建築としても世界的に作例が少ないとされています。

 

◯木下益治郎

木下益治郎は、アメリカ発のアール・デコ建築を日本で進めた建築家として知られています。

 

木下は大正9年の訪米以降は、当地で流行していたアール・デコの影響を強く受け、以後自身の設計に反映させていくようになります。

 

学校を卒業後、兵役、山口半六の事務所、逓信省などを経て、東京海上火災保険に入社します。

 

そこで木下は曾禰中篠建築事務所設計の東京海上ビルディングの現場主任を勤めることになったのです。

 

神港ビルディング
 

 

神港ビルディングは、神戸の旧居留地にあります。

 

鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階、地上8階建て。

 

角面に塔屋を設けて端部を強調したデザインとなっています。

 

パラペット部分の装飾など、ニューヨークやシカゴで流行しはじめていた摩天楼の影響が色濃く出ています。

 

頂部壁面はアメリカン·アール・デコ調。

 

また、ボリュームが積み重なるような構成は、クライスラービルの中下層部分に共通します。

 

馬車道大津ビル

 

 

東京海上火災保険株式会社の横浜出張所として設計された、鉄筋コンクリート造地上4階地下一階建てのオフィスビルです。

 

現在は大和興業株式会社の所有となり、歴史的建造物、レトロオフィスビルとして使い続けられています。

 

外観は上部を望むと、 まさにニューヨークの摩天楼に影響を受けたようなアール・デコ調の細工が施されています。

 

木下が渡米した時期はまさに大流行の真っ只中であり、その影響をストレートに受けています。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 

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