建築史シリーズ 日本の近代建築⑪

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的に教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナー、建築家というのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

このシリーズではそうした美に携わってきた建築家たちを中心にご紹介していきます。

 

◯近代建築の父・辰野金吾

辰野は日本近代建築の最初の世代に数えられ、東京駅のほか多くの名作を残しました。

 

 

デザインでは、師であるジョサイア・コンドルや留学したイギリスの建築に強い影響を受け、「辰野式」と呼ばれる独自の様式を生み出しています。

 

教育にも熱心で、東京帝国大学工科大学長、建築学会会長を長年に渡って務めるなど、明治建築界のボス的な存在でした。

 

のちに教授を辞し、翌年に設計事務所を開設しましたが、これは民間の個人設計事務所の先駆けでもあります。

 

辰野は大学卒業後すぐにイギリスのウィリアム・バージェスの元へ留学し、設計の実務を学びます。

 

そこで辰野は、 バージェスから「君の国日本には古い社寺が多いと聞くが、 それはどういうものか」と尋ねられたとされ、 それに返答できなかったそうです。

 

これがきっかけとなり、辰野は帰国後に日本建築史の講座設置に尽力、日本建築史の研究の先駆けとなるのです。

 

◯辰野の代表作

辰野による「辰野式」はレンガ建築の神髄と言われています。

 

イギリスのヴィクトリアン・ゴシック様式を踏襲しながら、記念性を示す塔やドームを多用したもの。

 

ヴィクトリアン・ゴシックは、赤レンガの壁に白色のボーダーを用いますが、辰野はそれを縦横に配し、本場の様式と比べて壁面の賑やかさは控えめで、縦に白い花崗岩の付け柱やラインを配置しています。

 
 

●東京駅

 

辰野金吾の代表作として真っ先に名前が挙がるのが、1914年に竣工した中央停車場、今の東京駅です。

 

 

ドイツから招聘されて日本の鉄道建設を指導していた技術者フランツ・バルツァーにより駅の位置や規模、構内の配置が決められたものの、彼は日本風の駅舎を提案していたため、完全な西洋建築を望んでいた日本側から反対意見が多く、バルツァーの構想は実現しませんでした。

 

そこで辰野に白羽の矢が立ったのです。

 

辰野が設計したのは、3階建て全長約335メートルにもなる、レンガと鉄筋造りによる駅舎でした。

 
 

●日本銀行本店本館

 

辰野の代表作であり、 国名を冠するように日本唯一の中央銀行です。

 

 

明治15年日本銀行は永代橋付近に開業したものの手狭で、明治21年新築計画が起こり、辰野に依頼されて設計がなされ、現在地に新築移転されました。

 

日本初のヨーロッパ風の石造建築です。

 

中央にドームを据え、 正面と左右両翼に列柱が配置され、ネオ・バロック様式とルネサンス様式の特徴を合わせ持っています。

 
 

●南天苑

 

高野山と大阪を結ぶ旧高野街道沿いの山間の温泉旅館です。

 

 

辰野建築と言えば西洋建築が多いですが、南天苑は珍しい和風建築。

 

3000坪の日本庭園に囲まれ、数寄屋風の内装は随所に茶室を思わせる侘び寂びの意匠がほどこされています。

 
 

●大阪市中央公会堂

 

「北浜の風雲児」と呼ばれた株式仲買人、岩本栄之助は、アメリカ大都市の公共施設の立派さやアメリカの富豪たちによる慈善事業・寄付の習慣に強い感銘を受け、帰国後、私財をはたいて地元に公共施設建設に寄付することを決めました。

 

そこで建てられたのが中央公会堂です。

 

 

設計デザインは、「懸賞付き建築設計競技」により岡田信一郎のデザイン案が1位に選ばれ、その岡田のデザイン原案に基づいて、辰野金吾が実施設計を行いました。

 

鉄骨煉瓦造地上3階・地下1階建ての構造となっており、意匠はネオ・ルネッサンス様式を基調としつつ、バロック的な壮大さを持っています。

 

アルベルト・アインシュタインやヘレン・ケラー、ガガーリンなどの歴史的人物の講演も行われたことで有名です。

 

大阪市中央公会堂は日本有数の公会堂建築であり、外観、内装ともに意匠の完成度が高く、日本の近代建築史上重要なものとして2002年に国の重要文化財に指定されました。

 
 

●西日本工業倶楽部会館

 

西日本工業倶楽部会館の前身、松本邸は、福岡県北九州市戸畑区にあります。

 

 

日本の実業家で明治専門学校(現九州工業大学)の創設者の1人、松本健次郎がかつて暮らしていた住宅であり、洋館・日本館各1棟および蔵2棟からなります。

 

洋館・日本館ともに木造の二階建てで、廊下で繋がり、アール・ヌーヴォー様式のデザインで美しい曲線が目立ちます。

 

一方、日本館は洋館の建築監督であった久保田小三郎が設計しており、洋館とは対照的に純和風な雰囲気を湛えた数寄屋造りの建築となっています。

 
 

●旧唐津銀行本店 辰野金吾記念館

 

現在の佐賀銀行の前身の1つであった唐津銀行の本店として使用され、現在の建物は明治45年に完成しました。

 

 

同行の頭取を務めていた大島小太郎が、唐津出身の辰野金吾に設計を依頼。

 

辰野の監修のもと、弟子で清水満之助店(現在の清水建設)に入店していた田中実が実際の設計を手掛けました。

 

外壁には赤レンガ調タイルと白御影石が用いられ、他にもアーチ窓や御影石バルコニーなど辰野様式がふんだんにあしらわれています。

 

1階に銀行カウンターを介して吹き抜けロビーと執務室があり、2階部分には応接室、会議室などを配置。貴賓室の天井や大理石製マントルピースなど品位のある意匠が各所に施されています。

 

平成9年まで佐賀銀行の建物として使用されたのち、同年に唐津市へ寄贈されました。

 

平成14年に唐津市指定重要文化財に、また平成29年には佐賀県指定重要文化財にしていされました。

 

現在は辰野金吾記念館という別称で、無料の常設展を観覧することができるほか、辰野に関連する資料を展示するほか、イベントスペースとしても活用されています。

 
 

●旧日本生命保険株式会社九州支店

 

福岡市天神に建つ辰野建築です。

 

 

明治10年に第十七国立銀行(福岡銀行の前身)の本店がこの地に建設されましたが、その後の火災で焼失し、その跡地に建設されたのがこの建物です。

 

建築面積約282平方メートルの小規模な建物で、煉瓦造、地上2階、地下1階、中央にドームを戴いた八角の塔屋を持つ。

 

小屋組は木造トラス、屋根は当初、天然スレート葺でした。

 

戦後、名称を変更した日本生命保険相互会社福岡支社の社屋として昭和41年まで利用されました。

 

後に重要文化財に指定され、福岡市が買収し、福岡市歴史資料館として活用されました。

 

外観は赤レンガの外壁と張り巡らされた白い花崗岩の帯、ドーム屋根など、辰野が留学した19世紀末の英国で流行したクイーンアン様式の影響が随所に見られます。

 

内部は照明器具、階段の装飾、鉄柵などにアール・ヌーボーの影響が見られるが、生命保険会社の社屋だけに、華美さは抑えられています。

 

令和元年からは「エンジニアフレンドリーシティ福岡」の一環として、エンジニアの交流拠点「エンジニアカフェ」が設置され、時代に合わせて愛用されるレトロ建築となっています。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 

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