建築史シリーズ 日本の近代建築⑦

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的に教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナー、建築家というのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

このシリーズではそうした美に携わった先人たちが紡ぎ上げてきた建築の歴史を中心にご紹介していきます。

 

◯稀代のコンクリート・モダニズム

東京渋谷区神宮前に建てられた塔の家は、建築家、東孝光の手による住宅建築です。

 

 

打放しコンクリート、狭小住宅の先駆けで建築史に残る作品であり、完成から40年以上が経つ建物でありながら 現在も見学者が後を絶たないほど、建築史上において多くの建築家に影響を与えた建物の一つでもあります。

 

わずか6坪弱という狭い敷地に、地上5階・地下1階を塔状に積み立てた鉄筋コンクリート構造。

 

玄関を除けば、トイレも浴室も含め扉が一切なく、間仕切りもありません。

 

吹き抜けで開放的な空間設計が狭さを感じさせず、都心に住む醍醐味を満足させ、ル・コルビュジエの主張する「新しい建築の5つの要点(ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面)」を踏まえています。

 

吹抜けは階段とセットになっており、各フロアを繋いでいます。

 

階段は片持ち(キャンティ)で出されていて、蹴込部分もなく手摺はありません。

 

つまり視覚的に空間を遮るものがないように配慮されているのです。

 

さらに、吹抜けに面して大きな窓を設けることで、視線の抜けによる開放感も獲得しています。

 

5層に室が積層されていることも重要です。

 

これにより室を繋げたまま視線をコントロールし、プライバシーを確保することができます。

 

都心のわずかな土地を利用して建てられた住まいは、多種多様な創意工夫が散りばめられた魅力ある空間なのです。

 

塔の家にも見られる、以下の狭小住宅の5つのポイントは昨今の住宅においても共通しています。

 

・廊下はつくらない

 

・狭いからこそ吹抜けで伸びやかに

 

・部屋同士は建具で仕切らず一体として使えるようにする

 

・視線がよく抜ける方向へ大きな窓をつける

 

・階段は全階同じ位置にして空間利用の効率性を上げる

 

◯クジラの建物

小説家ハーマン・メルヴィルの作品に『白鯨(Moby-Dick)』という作品があります。

 

そこから名づけられた山荘「もうびいでぃっく」は、1966年に完成した建築家、宮脇檀の処女作です。

 

 

垂木がむき出しの天井はまるでクジラの体内のようで、起伏ある流線型の屋根はクジラの背中を思わせます。

 

宮脇はある日、クライアントから山中湖畔に建てる山荘の設計を依頼されました。

 

この時の宮脇はまだ20代後半。

 

まだ大きな実績もない建築家に、山荘という以外に「必要な条件なし、竣工期限なし、工事費の予算上限なし」という破格の条件で設計依頼が舞い込んだのです。

 

その結果、宮脇は山荘の設計に1年半を費やし、期間中にありとあらゆる形や構造が検討されました。

 

完成したもうびいでぃっくは、それまでにない構造の新しい概念の建築でした。

 

外壁も屋根もHPシェルといわれる三次元曲面。

 

両脇の壁を互いに固定するための梁は一切ありません。

 

垂木は無数にありますが、屋根の棟木はなく、棟のところで合掌している垂木は直に突き付けられています。

 

そのため、内部は柱も梁もないシンブルなワンルーム空間となりました。

 

その中にベッドを載せた櫓が構造体に一切触れることなく置かれているのです、

 

鯨の背のような局面を覆う野地板は、薄いベニヤ板を何枚も重ね合わせて屋根の下地とし、屋根材は曲面になじむ砂付きルーフィングで葺いたのです。

 

当時、曲面を葺ける屋根材はこの砂付きルーフィングだけだったといいます。

 

◯日本最大のレトロオフィスビル

霞が関ビルは日本初の超高層ビルに数えられます。

 

 

高さ147m、36階建て。

 

1963年に建築基準法の改正で高さ制限が撤廃され、容積率による規制に移行しました。

 

さらに、容積率の規制を緩める特定街区制度も使用して高層ビル建設への計画が進行しました。

 

竣工当時の街の様子は、31m高さ制限のため建物は9階建て以下のビルが敷地いっぱいに建ち並ぶ状況でした。

 

そこから頭ひとつ飛び出たのが霞が関ビルです。

 

高層化というのは容積を密集積層化することを意味します。

 

そうすることで、霞が関ビルでは地階に1万平方メートルの広大な緑のある広場を残すことができました。

 

ただ単に高層化するのではなく、それによって美しい都市の環境が生まれたのです。

 

周辺の建物が高層化してスケールが大きくなっても、街に開く公開空地をつくることで、人が集まり、まとまった緑を提供することができる。

 

そんな理念が日本初の超高層ビルを生んだのです。

 

霞が関ビルでは中央部に平面を二分するようにコアがあります。

 

コアスペースには、EVや階段などの垂直動線、トイレなどの設備、配管スペース、空調機のダクトスペースなどが集約されているのです。

 

ワンフロアの大きさは約800坪。

 

自由度が高い空間なのでテナントの目的に合わせてオフィス空間をつくることができます。

 

1989~1994年に行われた、テナント124社、約7000人が働く霞が関ビルのリニューアル工事は、時代に合わせたOA化と空調や電源、給水システムの更新が目的でした。

 

稼働するビルのリニューアルはとても難易度が高く、この時は広い空地の部分に仮設の事務スペースをつくり、オフィスで働く人たちを移動させました。

 

この仮設の事務スペースは、霞が関ビルのワンフロア半分の400坪の大きさを東西に2棟つくりました。

 

そのため、事務スペースの家具などのレイアウトを変えずそのまま移動することができました。

 

同じ敷地なので住所変更の必要もない、移転前と変わらない利便性を確保するアイデアでした。

 

リニューアル工事を機に、テナント部分のレイアウトの変更や更新に対する要望にも応え、快適なオフィス空間を実現しています。

 

この後も1999年、2006年とリニューアルエ事を行い、最新の設備へとアップグレードしています。

 

築50年のレトロビルにも関わらず、こうして最新の機能と内装を持ち合わせているのです。

 

◯芸術が爆発した建造物

太陽の塔は、芸術家の岡本太郎が制作したカラスをモチーフにした芸術作品です。

 

 

1970年の万国博覧会のテーマ館の一部として建造され、万博終了後も引き続き万博記念公園に残されさています。

 

高さ70メートルの塔で、その上部の顔についた目は日没とともに光る仕様であり、万博後中断されたものの2010年3月末ごろより再び毎晩点灯しています。

 

塔の内部は生命の樹と呼ばれる生物の進化に沿った展示物が置かれています。

 

この生命の樹は、単細胞生物から人類が誕生するまでを、下から順に原生類時代、三葉虫時代、魚類時代、両生類時代、爬虫類時代、哺乳類時代に分けて、その年代ごとに代表的な生物の模型によって表しています。

 

デザインはウルトラマンの造形で知られる成田亨が行い、ウルトラマンシリーズを制作する円谷プロによって模型が作られました。

 

太陽の塔は万博終了後に保存活動が起こり、解体はされませんでしたが、長い間内部が使われることはありませんでした。

 

2018年に耐震改修と消防法などの問題が解決され、常設の展示施設として48年ぶりの公開となりました。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 


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