建築史シリーズ 日本の近代建築④

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的に教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナー、建築家というのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

このシリーズではそうした美に携わった先人たちが紡ぎ上げてきた建築の歴史を中心にご紹介していきます。

 

◯異色の日本寺院

築地本願寺は、東京都中央区築地にある浄土真宗本願寺派の寺院です。

 

 

建立は江戸時代。関東大震災で地震による倒壊は免れたものの、すぐ後に起こった火災で再び伽藍を焼失します。

 

現在の本堂は1934年の竣工されたものです。

 

再建された建物は、以前の姿とは全く異なったインド建築の要素を取り入れました。

 

まず検討されたのは耐震性·耐火性。以前の建物は木造であったことから、コンクリート造による建築方針が取られました。

 

同時に検討されたのは、寺院のあり方です。

 

従来のような伝統的な形式を望む声がある一方、新しい時代に対応した新しい形式の寺院を望む声も挙がっていたのです。

 

そして、その方針の検討を含めた設計を依頼されたのが建築家の伊東忠太でした。

 

伊東は西洋建築学を基礎にしながら、日本建築を本格的に見直した第一人者です。

 

法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示し、日本建築史を創始する一方、建築進化論を唱え、進化主義とされる西洋建築を肯定し、対して日本建築に革新性を求めました。

 

さらに、その実践としユニークな様式をもった数々の作品を残しています。

 

築地本願寺の計画に関して伊東は、純日本古式の形式は合理的でないと退け、中国やインドの様式を取り入れる設計を行いました。

 

築地本願寺は竣工まで7年かかりました。

 

完成した建築は、角張った柱頭やストゥーパ状の鐘楼など、伊東独自の解釈によるインド建築の要素を多く盛り込んだ外観となり、これまでの日本の寺院のイメージを大きく覆すものでした。

 

完成から1世紀近く経過した現在でもその斬新さは衰えることはなく、むしろ築地のシンボルとして大きな存在感を示しています。

 

◯日本に建つアールデコ

現在、東京都庭園美術館として使われている建物は、もともと1933年に朝香宮殿下の邸宅として建てられました。

 

 

この建築はアールデコ様式を取っています。

 

1922年、フランス留学中だった朝香宮殿下は不運にも自動車の事故に遭い、その療養のために夫婦で長期間パリに滞在することになります。

 

当時のパリはアールデコ全盛期であり、1925年のバリ万博を見学されるなど、朝香宮殿下は様式美に魅せられ、大いなる刺激を受けて帰国しました。

 

そして、1923年の関東大震災で倒壊した邸宅の建て替えにあたり、アールデコのエッセンスを盛り込んで建築したのです。

 

全体計画を含め、設計監理は権藤要吉が行い、1階の大広間や大客室など、2階の殿下居室と書斎の計7室の内装意匠をフランス人デザイナーのアンリ・ラパンが担いました。

 

旧朝香宮邸はガラス、石、タイル、金属など室内に多彩な素材を用いながら、アールデコの様式美を楽しむことができます。

 

19世紀末から20世紀初めに流行したアールヌーボーのモチーフは花や植物などの有機機物で、曲線的・装飾的なイメージであるのに対し、1910~1940年頃に流行したアールデコのモチーフは幾何学模様、直線的・機能的なイメージです。

 

装飾性が高いがため大量生産に向かないアールヌーボーは、第一世界大戦の勃発とともに衰退しました。

 

一方、アールデコの時代は、芸術やデザインがー部の特権階級のものから大衆のものへと変化を遂げていきます。

 

◯数寄屋とモダニズムとの融合

数寄屋造りは日本の建築様式の一つで、数寄屋風を取り入れた住宅の様式です。

 

 

数寄とは和歌や茶の湯、生け花など風流を好むことであり、数寄屋は「好みに任せて作った家」といった意味で茶室を意味します。

 

そして近代数寄屋とは、数寄屋にモダニズム建築の要素を融合させたものをいいます。

 

近代数寄屋の生みの親は吉田五十八。

 

近代数寄屋の前の数寄屋は、柱の垂直線、長押、鴨居天井の竿縁などの水平材がとても多く、煩雑な空間でした。

 

モダニズムの影響を受けた吉田五十八は、従来のモダニズムが持つ、硬く、緊張感のある空間に和の大らかさを与えようとしました。

 

吉田の作品、旧杵屋別邸では柱や長押といった諸材料をなるべく減らし、線による分割をなくし、線から面の構成とすることで空間に大らかさをもたらすことで、無限ともいえるパターンが生まれます。

 

吉田五十八にとって柱を見せることも表現の一つで、必ずしも構造である必要性はありませんでした。

 

柱の表現は数寄屋の生命線の一つであるにも関わらずです。

 

こうして数寄屋とモダニズム建築は近代数寄屋の誕生によって融合を果たしました。

 

数寄屋のもともとの特性と、線と面の分割による立体幾何学で構成されたモダニズム建築の相性がよかったとも言えます。

 

◯木造モダニズム建築の傑作

木造モダニズムの傑作と名高い、建築家前川國男の自邸は、綺麗なシンメトリーとなっています。

 
前川國男6
 

戦時体制下で建築資材が入手困難な時期にも関わらず、モダニズム建築の要素がふんだんに取り込まれています。

 

これまでの和風伝統住宅であれば、壁には長押が、天井には廻り縁があってと、線の多い空間になります。

 

しかし前川邸は二面と天井はモダニズムらしい白で仕上げられ、すっきりとしています。

 

すっきり見せるために線を消すのはモダニズムの特徴です。

 

また、モダニズムの要素として面の分割というものもありますが、前川邸の居間の反対側の面を見ると障子、サッシ、柱、2階の手摺を兼ねた飾り棚、床を支える梁が美しいバランスで納まっています。

 

伊勢神宮を意識して正面の真ん中に棟持柱のような独立柱を立て、日本家屋なのにピロティを演出しています。

 

ちなみに資材統制の影響で、柱の素材はなんと電柱です。

 

前川邸は戦時下という状況を考えれば、もっと伝統的な和風住宅に仕上げる可能性もありましたが、前川はそうせず、モダニズムを積極的に取り入れて、新しい木造モダニズムの傑作を完成させたのです。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 


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