医療の歴史・タバコ
今日のように、病原菌を遺伝子レベルで把握し、ワクチンや抗生物質、薬や手術の開発ができるようになるまでに、それこそ神頼みの時代から長い年月にわたる試行錯誤がありました。
前にご紹介した水銀しかり、ヒ素しかり、今の常識では考えられないような医療が有効だと信じられていたケースも過去にはありました。
そうした先人たちの悪戦苦闘の積み重ねが、今日の最新医療を成す土台になっているに違いありませんが、それにしてもびっくりを通り越して笑ってしまうような医療がたくさんあります。
今回は引き続きそうしたびっくり仰天な医療の歴史をご紹介していきたいと思います。
■魔法の薬
お酒とならぶ人類の嗜好品、と言えば「タバコ」です。
世界の総喫煙者数は減少し続けているとは言え、未だ13億超の人がタバコを嗜むほどの人気の品。
私は全く吸わないので、タバコの美味しさも、体に与える危険性も実感として持っていませんが、少なくとも「薬」となる代物ではないことは知っています。
でもタバコも、昔は薬だったんですね。
元々アメリカ大陸を原産とするタバコは何千年も前から栽培されており、古くからネイティブ・アメリカンによって聖なる草として扱われ、
宗教儀式で使われていたほか、下痢止め、下剤、皮膚軟化薬、リウマチ薬、湿疹薬、風邪薬としても用いられていました。
乾燥させたタバコの葉を吸い込む、怪我ややけどにタバコの葉を貼りつける、葉の粉末を飲んで痰を除くなど、今では見かけないような使われ方をされていました。
■ヨーロッパで大流行
タバコはアメリカ大陸からヨーロッパにもたらされて間もない頃から薬として人気を博すようになります。
というのも、当時のヨーロッパは疫病で苦しんでいました。
そこへ新大陸に渡った多くの探検家たちがタバコを持ち帰り、薬として使用していた先住民の事例を報告したため、タバコの薬用用途の研究が始まったのです。
タバコの研究と人気の火付け役の一人がジャン・ニコ。
フランス大使としてポルトガルに赴任した人物です。
赴任先のリスボンで目にしたタバコに好奇心を掻き立てられた彼はタバコを使って軟膏を作ると、腫傷のある男性を対象に効能実験を行い、効果を確認したそうです。
「これはいい物を見つけたぞ!」
そう思ったのでしょう。ニコはフランスに帰国すると、摂政のカトリーヌ・ド・メディシスにタバコを贈り、タバコの葉を粉末化する方法や、頭痛を抑える効果があることを伝えました。
ひどい頭痛に悩まされていたカトリーヌは試しにタバコを吸うと「あらびっくり!頭痛が軽くなったわ!」と効果てきめん。
タバコは宮廷中であったという間に広まり、続いて民衆の間でも人気を博すようになります。
こうしてニコは巨万の富を築き、自身の名前も「ニコチン」の語源として、今日まで名前が記憶されるようになったのです。
■もう一人のキーマン
タバコ人気に貢献したキーマンはもう一人います。
スペイン在住の医師ニコラス・デ・モナルデスです。
彼も自らがアメリカ大陸に赴くことはなかったものの、情報を丹念に収集して「タバコ」を栽培し、1571年『西インド諸島からもたらされた有用医薬に関する書第二部』を著します。
その中でネイティブ・アメリカンによるタバコ使用法や薬効を詳細に記録しました。
タバコを万能薬と位置づけ、使用を推奨したこの本はヨーロッパ各国で翻訳され大ベストセラーとなり、
これが医学や家庭においてタバコの薬効に対する信仰のきっかけをつくるに至ったとされています。
■ペストの予防にどうぞ
本コラムでも紹介した「ペスト」。
欧州人口の3分の1が死亡し、世界で1億人を遥かに超える死者を出した人類史上最大の脅威となった疫病中の疫病です。
このペストの予防策としてタバコが使われていたのをご存知でしょうか。
実はタバコにはごく短時間の殺菌効果があるんですね。
タバコを殺菌用途に使うのは、元はキューバにいた先住民がやっていたものですが、それがヨーロッパに伝わったもの。
1665年にロンドンでペストが大流行した時に、学校に通う子どもたちは感染予防のために教室でタバコを吸わされたそうです。効果はどれほどあったのか未知数ですが・・・。
また1882年にイングランド北西部で天然痘が大流行した時も、救貧院の居住者全員にタバコが配られ、タバコの煙で室内殺菌に協力してくれと要請があったとか。
科学的な話をしますと、タバコ煙にはピリジン化合物が含まれ、これには殺菌効果があることは証明されています。
喫煙者はジフテリアやチフス、コレラといった感染症にかかりにくいと指摘されていました。
といっても、殺菌効果による健康へのメリットと、タバコの煙による健康へのデメリットとどちらが大きいか。
今日ではタバコを殺菌に使わないところを見ると結論は明らかでしょう。
■タバコで蘇生!?
タバコの究極な使い方・・・それは意識不明の重体に陥った人の蘇生でした。
そのやり方はまたアバンギャルドで、なんとお尻の穴にタバコの煙を注入するのです!
この「タバコ浣腸」が最ももてはやされたのは18世紀。
きっかけは、イギリスの医学界が溺れた人の蘇生法としてタバコ浣腸を採用したことでした。
当時テムズ川では水に溺れる事故が多発したため、その蘇生法として採用されたのです。
溺れた人がいたらすぐに救助にかけつけ、川から引きずり上げる。
そして樽の上に乗せて体を揺らし、フイゴをつかって口の中に空気を送り込みます。人工呼吸です。
それでも目覚めないなら服を裂いてお尻を出し、うつ伏せ状態にしてから浣腸パイプをお尻の穴に挿入!
燻蒸器とフイゴを接続してタバコを焚き、煙を直腸内に送り込むという寸法です。
当時は仮死状態にある患者に対しては、体を温めること、刺激を与えることが有効とされ、タバコ浣腸はその両方の効能に応えるものとされていました。
「タバコ浣腸キット」という商品も販売されていました。
今日のAED(自動体外式除細動器)ではありませんが、一家にワンセット、常備しておきたい蘇生手段として一般家庭にも普及したそうです。
ちなみにまだフイゴがなかった頃、浣腸パイプで空気を送る込む側は人の口から直接煙を吐き続けなければなりませんでした。
もし誤って煙を吸い込んだ日には肺の中は糞便の臭いで一杯になるだけでなく、腸内の菌も一緒に吸い込みかねない。ひとたまりもなかったでしょう(笑)
■健康と相談しながら楽しむのがベスト
19世紀に入ると、タバコは徐々に医療目的で使われなくなっていきます。
1811年、イギリス人科学者ベン・ブロディがニコチンは心臓に有害であることを発見。
そしてニコチンが脳や神経系に悪影響を及ぼす毒性があることが確認されるようになり、医学界ではタバコに対して否定的な意見が高まり、医療の場からやがてタバコの姿が消えていきます。
タバコは吸う瞬間は気持ちいいものでしょう。
シャッキと目が覚めたり、あるいは気分が落ち着いたり、ストレスが軽くなったり。
科学が一定水準に達する前、こうしたプラスの効能をもって薬としてのタバコの価値を認めたのも無理なかったことでしょう。
しかし実際、タバコは健康を害する毒を持っています。
ほどほどに楽しむのが一番ですね。
以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。