会社を左右する「人間関係」
■とある工場の話
先日、友人から面白い話を聞きました。
とある工場がありまして、従業員の多くが障がい者。
しかしそこでは普通の工場と遜色ない生産性と品質管理が実現できており、無事故かつ離職率も低い。
この工場に、業界では知らない人がいない某大企業のグループ会社の経営者が視察に訪れ、物凄く驚かれたそうです。
自分の工場は設備も福利厚生も遥かに整っていて、安全マニュアルも作成しているのにも関わらず、労災費も離職も増える一方だという。
「どうしてできるんですか?」
と、大企業の経営者が工場で聞くと
「人間関係です」
と。
大企業の経営者にとっては予想だにしなかった答えだったらしく、意味がわからず「え?」と、目が点になったそうです。
その後、色々話を聞くうちに経営者の目からウロコが百枚も千枚も落ちて、障が者たちで作る小さな工場は、
「人を利用して蹴落とし、自分が上がっていってなんぼ」
という凄まじい競争文化が当たり前な自分の会社と異なる文化流れていることを、大企業の経営者は気づいたと言います。
■バカにならない「人間関係」
とても示唆に富む話です。私はこれを聞いた時、想像したんですね。
大企業の工場と、障が者たちの工場での職場の雰囲気の違いについです。
大企業の工場では、おそらく
「ギスギス」
した雰囲気が慢性的に流れていたのではないかと想像します。
なぜ雰囲気が悪いのか?
それはとどのつまり
「人間関係が悪い」
からでしょう。
よく言われているように、会社の辞める理由の第一位、職場のストレスの第一が
「人間関係」
なんです。
どんなに素晴らしいビジョンや戦略を掲げても、人間関係が悪ければ人材すら定着しないわけです。
つまり人間関係は、組織が躓くクリティカルなポイントであるとも言えるんですね。
仮に良好な人間関係が機能しない場合、個人の仕事はどうなるのでしょうか?
イライラ、ビクビクといった負の感情が発生しやすく、ミスを誘発するでしょう。
仕事に対する積極性や責任感も削がれるかもしれません。
「人が困っていようとどうでもいい。自分のことしかしない」
「自分はこんなに頑張っているのに・・・もう最低限の仕事しかしない」
「どうぜ頑張っても認めてくれない」
などなど。
心理的な安心感もぐっと低くなるから、信頼感も薄い。だからチームプレーの品質が益々下がっていく。
そうした事態が生じるのは容易に想像できますね。
■人間関係は組織のリカバリーに利く!
会社、あるいは広く組織でもいいんですが、人間関係の影響が最も強く表出するのは組織が辛い時です。
大きなトラブル、仕事の締め切りなど。
組織全体が高いストレス状態にある時って、やはりどうしてもピリピリした雰囲気や暗い雰囲気が生まれてしまうものですが、
もし人間関係という目に見えないセーフティネットが利いていれば、仮に一時的に雰囲気が悪化しても、崩れずにストレスを乗り切って、元の状態までにリカバリーできるんですね。
つまり組織の基礎体力がある状態です。
こういう会社はパフォーマンスが高いし、何よりも持続可能です。
逆に人間関係が元から悪ければ、ストレス強度に晒されてしまうと脆い。組織が一気に崩壊する危険性もあるし、よしんば乗り越えたとしても人間関係は一段と悪くなったままで、回復は難しい。
■人間関係が辛くなる理由は?
人間関係は確かに難しい。誰もが聖人君子ではないので、好き嫌いは避けられません。
人間関係の良し悪しを作る要素はたくさんあります。性格の相性だったり、会社の調子だったり、コミュニケーションだったり・・・。
ただ、意識的な努力によって人間関係を快方に向かわせることは可能です。
最近読んだビジネス書で、「お!」と思ったのがあります。
それは
「相手を機能としてではなく、人間として付き合うこと」
です。
会社という機能組織では、会社の事業目標なり日々の業務に対して、各人が能力に基づく機能の提供が求められます。
一つの歯車、一つの道具となり、一定のルールの元に集団行動していくことが要請されるわけです。
まあこれは当たり前な話ですが、道具的機能としての評価にあまりに偏ってしまうと、生き物である人間はどうしてもストレスを感じてしまいます。
人を過度に「機能」として評価し、「組織に奉仕すべき道具」として扱い、人間として扱われなくなっていく感触が、人間関係を悪化させる要因の一つに挙げられます。
そうなると、相手や自分の仕事の出来なさの責を人間性に帰してしまうことが往々にしてあります。
「仕事ができない=人間としてダメ」
これです。
道具としての役割が果たせないだけで、人格の否定。
このような「道具的な関係性」は、短期的は効率性や生産性が改善されるかもしれませんが、長くは続かないでしょう。
仕事の出来不出来という「機能性の発揮具合」は、一人の人間をとても限定された評価軸で見た時の結果に過ぎないのに、この評価軸が強くなり過ぎてしまうと相手や自分、外部環境に対する受容の幅が確実に狭まります。
コンビニや居酒屋で、まだ日本語や仕事に不慣れなアルバイトの外国人に罵声を浴びせる人をたまに見かけますが、まさにそれです。
サービスを提供される側として、相手に一定の機能性なり礼儀を求めるのは当たり前でしょうが、相手はいくら感情をぶつけても大丈夫なロボットではないんです。
相手も自分と同じ血肉と感情を持っている人間だと思えば、かける言葉ももうちょっと違って来るんじゃないかと、私は思うわけです。
人間は絶えず感情のゆらぎを持つ社会的な動物です。
その人間らしさを過度に「機能」という枠中に嵌めようとすると、ひずみが生まれて当然です。
■自分を捨てず、価値観の軸を増やしていく
ではどうずればいいか?
まずは相手も人間だという事実を改めて意識すること。
仕事上の関係性からだけでは見えない相手の表情や感情、背景があることを想像してみること。
「性格」は「相手との関係性」で決まると言っても過言ではありません。
仕事場で社長に対する顔、同僚に対する顔、部下に対する顔、
家で家族に対する顔,
友人に対する顔、
恋人に対する顔・・・
人は関係性に応じていくつもの顔を持っています。
つまり多様である、ということです。
目の前の相手が自分に見せる顔もそれらの一つに過ぎないと思える、あるいは割り切るようなれば、相手に対してはもっと大らかな態度で接したり、相手の考えの背景に対して興味が湧いて出たりするかもしれません。
考えを聞いてみようとか、興味を持ってみようと思うかもしれません。
かといって相手や環境に同調するあまり、自分の人間性を犠牲にしては本末転倒です。
自分はそのままに、多様な価値観の間を移動できるフットワークの軽さを身に着けていく。
受容の幅を広げるだけでも質的な変化を人間関係に及ぼせるのではないでしょうか。
そしてもう一つの解決策は
「コミュニケーション」
です。
単なる意思疎通を意味しません。
日本的に言えば、「腹を割って話す」こと。
これは簡単なようで、実は難しい。
「腹を割る」とは自分の鎧を脱ぐこと。
自分の価値観を一旦脇に置いて相手と対話し、その立場に立って物事を捉え直すわけですから、苦しみを伴います。
それに、人間関係がそもそも宜しくない職場でこれを行うには、心理的安全性が低いので、特にハードルが高い。
だからこそやる価値があるのです。
人間関係は幸福度と深く関係しています。
そして幸福度の高さは生産性や創造性、離職率と密接に関わっているという研究結果もあります。
「楽しく仕事ができる会社」
シンプルですが、これに勝る経営改善はないでしょう。
大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)もそのような会社を目指していきたいと考えています。