ル・コルビュジエ

弊社、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)が行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

爽やかなブルーをあしらったIKEA風の貸し会議室もその一環です。

 
IKEAスタイルショールーム
 

とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものです。

 

今回もそんな天才デザイナーの一人をご紹介します。

 

■モダニズム建築の巨匠

今回ご紹介するのは近モダニズム建築の巨匠、ル・コルビュジエです。

 
コルビュジエ11
 

彼の偉大さを語るにはヨーロッパ建築の歴史について少し知る必要があります。

 

ヨーロッパの建築の源流はパルテノン神殿やコロッセオに代表される古代ギリシャ・ローマ建築に遡ります。

 

組積造と呼ばれる石やレンガを積み上げてつくる構造と、美観を重視した装飾の作り込みが主流でした。

 

ゴシック建築やバロック建築、ロマネスク建築は皆さんは一度は聞いたことがあるかと思います。

 
バロック建築
 

しかし1920年代になってから、ヨーロッパ建築界に「モダニズム建築」という新しい潮流が生まれます。

 

一言で言えば「機能性と合理性の重視」です。

 

石材を使って重厚感を出したり、凝った装飾をあしらたりすることで美しさを表現するよりも、

 

採光に優れた大きな窓をつけ、無駄な装飾を省くといった「建物=使う物」としての機能性と合理性の表現こそ美しいという考え方が湧き起こるようになります。

 

数千年にわたりヨーロッパで当たり前とされてきた建築の美の定義が、20世紀に入って大転換を迎えたわけです。

 

モダニズム建築は戦前でこそ前衛として扱われていましたが、戦後になるとモダニズム建築のメインストリームとなっていきます

 

その潮流の旗手となったのがル・コルビュジエでした。

 
コルビュジエ11
 

■時計職人から建築家の道へ

コルビュジエは1887年10月6日、スイス北西部のフランス語圏ヌーシャテル州の小さな町、ラ・ショー・ド・フォンで生まれました。

 

この町は時計工房が集まる時計の街でした。

 

彼の父は時計のエナメル加工職人で、母はピアノの教師、兄はヴァイオリニストでした。

 
時計
 

後に巨匠と称えられるコルビュジエですが、実は建築家としての正式なトレーニングは受けていません。

 

ただ芸術は好きだったようで、15歳で美術学校に入学、家業の時計づくりを継ぐために彫刻と彫金を学びました。

 

一方で彼は「森の男」と呼ばれるほど自然のスケッチにのめり込んだという。

 

彼の父親は息子を頻繁に町周辺の山に連れて行きました。

 

山上で目にした広大な地平線が、後の彼の作品に見られる直線の美のインスピレーションとなったのかもしれません。

 

しかし当時のスイスの時計産業は斜陽化しつつあり、さらにル・コルビュジエは弱視でもあったので、精密な加工作業が求められる時計職人にとって致命的でした。

 

別の道を模索する中、コルビュジエの才能を見抜いていた美術学校の校長は建築の道をすすめます。

 

コルビュジエは迷った末、美術学校に入って1年後の16歳の時に進路変更を決意します。これが彼の転機となりました。

 

■武者修行、そして旅の日々

進路が定まってから図書館で建築関連の書籍を読んだり、美術館を訪れたり、建物のスケッチをしたりと、

 

建築を独学で始めたコルビュジエは、指導教師からの縁で、彫刻家ルイ・ファレの邸宅の設計・建設に参画します。

 
ルイファレ
 

この案件の成功によってほかの建築プロジェクトにも声がかかるようになり、その後1908年にパリへ行き、いくつかの有名建築家の事務所で丁稚奉公しながら、実地で建築を学んでいきます。

 

パリでは様々な画家や詩人とも友人になり、芸術に挑む彼らの生き方との触れ合いが、コルビュジエのオリジナリティに与えて影響も少なくなかったでしょう。

 

一方、コルビュジエの生来の芸術家気質によるものか、彼は旅好きな青年でもありました。

 

友人とともにブタペスト、ウィーン、セルビア、ブルガリア、トルコ、ギリシャ、ポンペイ、ローマを数ヶ月かけて旅し、旅の間中に描いたスケッチブックは80冊以上にのぼります。

 

旅をしながら一流の人と会い、見聞を広め、成長していく。まさに武者修行です。

 

■知られざる現代建築の「当たり前」

モダニズム建築で重視される機能性と合理性の美が表現されたコルビュジエの初期の作品は、彼が両親のために建てた家です。

 
ジャンヌレペレ
 

建物は柱、床、階段のみで構成され、最大限の採光確保、自由度の高い空間利用と壁設計を可能にしました。

 

屋根を支えるパーツとしてレンガや石製の重厚な壁が必要とされた伝統的な西洋建築から大きく逸脱する設計でした。

 

今の我々からすれば高層ビルなどで馴染み深い、ごくごく当たり前な建築構造に見えますが、この当たり前をつくったのは他ならぬコルビュジエなんですね。

 

■モダニズム建築の最高傑作「サヴォア邸」

1926年、彼はいわゆる「近代建築の五原則」を掲げました。

 

1. ピロティ

 

2. 屋上庭園

 

3. 自由な設計図

 

4. 水平連続窓

 

5. 自由なファサード

 

この5つの原則が高度に融合し具現化した最高傑作が

 

「サヴォア邸」

 

です。

 
サヴォア邸4
 

地面から建物を浮かせてピロティとし、建物の下のスペースも庭の一部として拡張され、屋根は庭とテラスとして機能します。

 

眺望と太陽の向きを考慮に入れた横長の窓、さらに壁配置、間取り、ファサード設計のアレンジの幅広さ。彼が理想とする合理性と機能性の美が余す所なく体現されたデザインでした。

 
サヴォア邸4
 

サヴォア邸はモダニズム建築の起源とされています。

 

この邸宅は、コルビュジエのほかの作品数点とともに2016年にユネスコ世界遺産に登録されたことからも、建築史与えたインパクトの大きさを伺い知ることができるでしょう。

 

■巨匠に死角なし

コルビュジエは生きている間で既にモダニズム建築の巨匠としての地位を不動のものとしていましたが、

 

後期の作品にはモダニズム建築が特徴とする幾何学的な造形とは大きく異なる趣きを持ったものが見られるようになります。

 

その最高傑作が

 

「ロンシャンの礼拝堂」

 

です。

 
ロンシャン
 

貝殻構造を採用した有機的にうねった屋根は巨大な外壁に支えられ、壁の上に浮いているように見えます。

 

これにより建物の中に光の帯が入り、空間がさらに明るくなり、内部空間がより神秘性を帯びるようになっています。

 

正面ファサードはカニの甲羅を形どったとされ、機能性と合理性から脱した自由闊達な造形から、多様な美を自在に練り上げるコルビュジエの建築家としての幅の広さを想像させてくれます。

 

■実はコルビュジエは本名ではない

彼のキャリアは50年に及び、ヨーロッパ、日本、インド、南北アメリカ、世界12カ国にわたりに作品を残しています。

 

日本では上野公園の国立西洋美術館の本館の設計を手掛けています。

 
国立西洋美術館
 

1965年、コルビュジエは南フランスで海水浴中に心臓発作を起こし、77歳の生涯を閉じました。

 

と、ここまで書いてなんですが、実は「ル・コルビュジエ」は本名ではありません。

 

彼の本名は「シャルル・エドゥアール・ジャンヌレ」。

 

「ル・コルビュジエ」は、自分で雑誌を立ち上げた際にペンネームとして使ったのが始まりでした。

 

しかしこれが気に入ったのか、建築家として作品を発表する時にもこの名前を使うようになり、今となってはむしろこちらの名前の方が知れ渡っています。

 

以上、大禅ビルからでした。

 
コルビュジエ11
 


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