建築史シリーズ メソポタミアとエジプトの建築

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

このシリーズではそうしたデザイナーたちが紡ぎ上げてきた建築の歴史を中心にご紹介していきます。

 

◯古代エジプトのピラミッド

建築の基本、それは「積む」ことです。

 

積むことで完成した人類最高建築の一つに数えられるピラミッドは、北はエジプトのカイロ北部、南はスーダンまで、ナイル川に沿って約1500キロ以上の広域に点在しており、およそ3000年にわたって300基以上つくられました。

 
ピラミッド
 

しかしどのような工法で完成されたのか、未だに論争が続いています。

 

近年の発掘調査により、ピラミッド近くからピラミッド・タウンが発見されました。

 

町には労働者たちの住む営舎や工房、貯蔵所、物品の管理所、高官が住む邸宅などが広がっていたそうです。

 

さらに、墓の壁画などからパンやビール、肉、野菜を食べていたこともわかり、彼らは奴隷ではなく、嬉々として働いていたことが遺物やヒエログリフから読み取れます。

 

また、「重い石材をピラミッドの上部までどうやって運んだのか?」については、有力な説として「直線傾斜路説」「らせん傾斜路説」「ジグザグ傾斜路説」「直線+らせん傾斜路説」の4つがあります。

 

◯ウルのジッグラト

メソポタミアは約1万年前に人類史上はじめて農耕が行われた地域といわれています。

 

そして、約6000年前には四大文明の一つであるメソポタミア文明が誕生しました。

 

「農耕が行われた」ということは、人が定住するための住居、つまり建築が必要です。

 

大事な食料を貯蔵する蔵(建築)も必要となります。

 

メソポタミアの住居遺構は北部のハッスーナにあり、その歴史はなんと紀元前6000年頃まで遡ります。

 

作物がよく取れるためには、天候が大事です。

 

それ以外にも疫病など、人間ではどうすることもできないことが多かったので、紀元前2700年頃に都市国家を誕生させたシュメール人(メソポタミアの地に暮らし、世界最古の文字をつくった人々といわれています)は立派な祭記施設を建て、「神様にお祈りしよう」と考えました。

 

重要なポイントは、身近に手に入る自然素材から建築は作られたということ。

 

資源(自然素材)は、土(泥)です。

 

水と混ぜ、天日乾燥すれば日干しレンガができます。

 

迫持(せりもち)アーチというレンガの形状と特性を活かした構造もこの頃見つかっています。

 

素材から建築材料や構造、工法が決まるということですね。

 

そして、日干しレンガが積み上げられた巨大な人工の山こそ、ウルのジッグラトです。

 

 

底面62.5メートル×43メートルで、上方にいくにつれて壁面が後退しているのが特徴です。

 

ウルのジッグラトは、ウルの主神ナンクル(月神)のための神殿の聖塔です。

 

ジッグラトとは、「高い所」を意味し、「ウルに建設された高い聖塔」という意味になります。

 

遺構は基壇のみで上層部が現存していないですが、復元図から伺える聳え立つ聖塔は、人々に神の威光を強く感じさせたことでしょう。

 

 

一方で、ジッグラトには聖書との不思議なつながりがあります。

 

旧約聖書の「ノアの箱舟」では、神様が人の悪に怒り、洪水を起こしたことが描かれています。

 

これはメソポタミアの神話「ギルガメシュの叙事詩」にも同じことが書かれており、実際にジッグラトには洪水の痕跡が残されています。

 

そのしばらく後、人間が巨大な塔を建てはじめたことに神様はまた怒りました。

 

勝手なことをさせないよう人々を散り散りにし、言葉をバラバラにして混乱させ、塔の建設を中止したのです。

 

しかし、実際には塔は建設されました。

 

それが「バビロンのジッグラト(バベルの塔)」です。

 

メソポタミア文明ではたくさんのジッグラトが建てられましたが、そのうちのどれかがバベルの塔であるとされています。

 

このうちもっとも有力なのが「エ・テメン・アン・キ」の遺跡です。

 

 

建設中断になったバベルの塔は、アッシリアの王であったセナケリブによって破壊されましたが、後に新バビロニア王国のネブカドネザル2世によって再建されたとされています。

 

ネブカドネザル2世といえば、バビロン捕囚のほか、絢爛豪華なイシュタル門や世界の七不思議に数えられるバビロンの空中庭園を建造した王です。

 

しかし、再建されたものの、現在ではほとんどその形状を残しておらず、ただ建物の土台だけが残っています。

 

◯アブシンベル神殿

アブシンベル神殿は、スーダンの国境近くのエジプト南部、アブシンベルにあります。

 

ここからフィラエまでのナイル川流域にある古代エジプト文明の遺跡をヌビア遺跡といいます。

 

アブシンベル神殿は砂岩でできた岩山を掘ってつくられた岩窟神殿で、大神殿と小神殿の2つからなります。

 

 

大神殿の四体の像は新王国のファラオで、カルナック神殿を建てたラムセス2世です。

 

「小神殿」はハトホル女神と王妃ネフェルタリに捧げられた神殿で、6体の像はラムセス2世4体とネフェルタリ2体が交互に並んでいます。

 

大神殿の像は4体ともラムセス2世像です。

 

足元の台座には家族の彫刻が施されています。

 

砂岩でできた岩山を掘り進めるやり方で作られたのが岩窟神殿です。

 

驚くべきことに大神殿はラムセス2世の生まれた日(2月22日)と、王に即位した日(10月22日)の年に2日だけ、神殿の奥まで日の光が届き、神殿の奥の4体の像のうち、冥界神であるプタハを除いた3体を明るく照らすように設計されています。

 

神殿の入口から最奥の像まで約47メートル。

 

朝日が当たると一直線に像が照らし出されます。

 

 

しかし残念ながら、神殿が移設されたことにより、現在は日にちがずれてしまいました。

では、なぜ移設されたのでしょうか。

 

アブシンベル神殿は、ナイル川のアスワンハイダムの建設に伴い、水没の危機にありました。

 

貴重な遺跡を救済するため、ユネスコが世界各国に呼びかけたことにより、1963年から5年ほどかけて、ダム建設時につくられた人造湖のナセル湖のほとりに移設されました。

 

既存の場所から標高として60メートルほど高く、ナイル川から約210メートル離れたところにあります。

 

現代の技術により、遺跡の背面の小高い丘はコンクリートのドームに支えられています。

 

移設時、神殿は小さなブロックに切断され、その数は1036個に及んだといいます。

 

巨大な立体パズルのブロックは20トン以下になるようにし、クレーンとトラックで再建場所へ運ばれました。

 

この工事がきっかけとなり、遺跡や自然を保護するため「世界遺産」が創設されたそうです。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 


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