デザイナーたちの物語 ミマール・スィナン

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

◯イスラム建築の偉人

今回ご紹介するのはミマール・スィナン。

 

イスラム世界の建築家です。

 
スィナン3
 

約50年間にわたってオスマン帝国宮廷の主任建築家を務め、3人ものスルタン (イスラム
世界の君主)に仕えました。

 

石工職人の息子として生まれた彼は軍の技術者となり、スルタンのイェニチェリ(スルタン直属の常備歩兵親衛軍)に所属していた頃は建築・土木技術に磨きをかけ、

 

あらゆる種類の要塞、道路、橋、水道橋などの軍事インフラの建設に精通していたそうです。

 

彼は、王家の人々もちろん、地方長官、大商人までをパトロンとし、イスタンプールを中心に東欧や大シリアなどの広範囲で、400とも500ともいわれる建造物を手がけました。

 

イスラム世界では建築家の存在は薄く、バトロンの名前だけが残ることが多い。

 

公的な歴史書には登場しないものの、名前の残る人スィナンはそれだけ異例の存在でした。

 

スレイマン大帝の葬儀を描いた細密画の中に、納棺の先達者としても描かれています。

 

◯工兵出身の建築家

スィナンは1490年前後にアナトリア半島のカイセリ近郊、アウルナスという小さな町で生まれました。

 

彼はアルメニア系かギリシア系であるとされています。

 

1512年、シナンはデヴシルメ制度によりオスマン帝国に徴兵されます。

 

士官として訓練を受けるためにコンスタンティノープルに送られ、イスラム教に改宗。

 

士官になる訓練と実戦と共に、工兵として数学も学んでいました。

 

どうやら資質があったようで、すぐに建築家たちのアシスタントとなって仕事するようになります。

 

弓術の名手でもあった彼は、射撃に弱い構造を建築学の観点から学んだとも言われ、また軍用船や大砲の建造も手掛けたようです。

 

1539年に宮廷の主任建築家に任命されたスィナンは、道路、水道、橋などの公共インフラ事業の設計・施工を担当するようになります。

 

帝国の建築家集団の長として後進の育成にも努めました。

 

◯スィナンの代表作

セリミイェ・ジャーミィ

 
セリミイェ3
 

モスク (トルコ語でジャーミィ) は礼拝所としてはもちろん、集会所や学校のような役割ももっていました。

 

イスラム建築におけるモスク形式の主流は多柱式ですが、オスマン帝国のモスクは礼拝室中央にドームを備えた形式が多く採用されました。

 

それらモスクの中でも、スィナン自身も認める最高傑作がこのセリミイェ・ジャーミィです。

 

オスマン皇帝セリム2世の命で建設されこのモスクの平面形は、下から四角形、八角形、ドームと続き、四隅には半ドームが設置されています。

 

4基のミナレット(尖塔)の内側には、1辺40mを超える礼拝室を設け、直径約31m、高さ42mの巨大なドームが架けられています。

 

視線の高さからドームまで均等に配された開口部は384を数え、礼拝室を均一な光で満たしています。

 

ドームの周りも開口部が設けられており、開けた内部空間を実現しています。

 
セリミイェ2
 

これほどの巨己大建築を実現できた理由の一つは、スィナンが軍事遠征に同行した経験にあると言われています。

 

遠征先で彼は街道や橋梁、水路といった土木スケールの設計や建設に従事していました。

 

そもそもスィナン自身も軍隊の工兵からキャリアをスタートさせ、宮廷の主任建築家にまで駆け上った人物です。

 

スィナンの手がけた作品を見ると、そうした土木スケールを扱った技術や、さまざまな土地で得たアイデアなど、軍隊での経験がよく現れているように見えます。

 

ソコルル・メフメト·パシャ橋

 
パラディオ
 

オスマン帝国の大宰相ソコルル・メフメトパシャの命を受け、イスタンブールから北西約850kmの場所にスィナンが手がけた橋です。

 

2007年には、オスマン帝国の土木技術の水準の高さを示すものとして世界遺産に登録されました。

 

橋の全長は179.5m、11~15mのスパンをもつ11のアーチからなり、側壁や中央壁に設けられた装飾は先の尖った尖塔アーチをモチーフとし、

 

アーチ基部の補強は川上側が三角形、川下側が円形平面になっています。

 

スィナン以前のオスマン建築は実用性が非常に重視されて、設計もほとんど従来の設計に則ってなされていました。

 

さらに、建築に贅沢なほどの安全性を求めたため、必要以上の材料や労働力を注ぎ込んでいたそうです。

 

スィナンはこのような状況を少しずつ変えていきました。

 

彼は、既存の建築手法に革新的な技術を加えることで伝統のブラッシュアップを図ったのです。

 

この橋の中でも、スィナンは芸術と機能主義を見事に融合させることに成功しています。

 

シェヘザーデ・モスク

 
シェへサーデ
 

1543年に亡くなったシェヘザーデ・メフメト王子の追悼のために建てられてモスク。

 

モスク自体は正方形の造形で、ドームは4本の橋脚で支えられています。

 

内部は、中央ドームの下に四つ葉のクローバーの形をした四つの半ドームを左右に配置して面積を広げた対称的な設計になっています。

 

双子のミナレットには2つの回廊があり、低めの浮き彫りにされた精巧な幾何学的彫刻と、陶製の装飾が施されています。

 

スレイマニエ・モスク

 
スレイマニエ・モスク2
 

オスマン帝国の王都、イスタンブールにあるモスクで、1557年完成で、オスマン建築の最高作の一つです。

 

オスマン帝国の第10代スルタンであったスレイマン1世の命により、1550年に着工し、7年の歳月をかけて完成しました。

 

礼拝堂の建物は前後59m、左右58mで、直径27.5m、頂点の高さは地上53mに達する大ドームを中心としたドーム群と4本の長いミナレットを持っています。

 

大モスクの立ち並ぶイスタンブール旧市街の中でも一際大きく、丘の頂上よりやや北側の斜面に位置するため、旧市街北の金角湾方面から見て特に印象に残るモスクの一つだそうです。

 

礼拝堂内部は大ドームを支える小ドームや柱の工夫によって広く明るい空間を実現しており、タイルやステンドグラスで飾られています。

 

スレイマニエ・モスクは礼拝堂のほか、神学校、医学学校、病院、給食所、宿泊所、商業施設、沐浴場など、多くの付属施設を持ち、複合施設群を形成しています。

 
スレイマニエ・モスク3
 

この建物は1660年に火災の被害を受け、すぐに修復されましたが、バロック様式を取り入れた形状に改変されました。

 

19世紀の修復で創建当時の様式が復元されたものの、第一次世界大戦中に武器庫に使われたのが原因で再び火災の被害を受け、1956年に修復されて元の姿を取り戻しました。

 

世界遺産にも登録されています。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 


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