デザイナーたちの物語 チャールズ・レニー・マッキントッシュ

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

◯イギリスのアール・ヌーヴォーの旗手

今回ご紹介するのはチャールズ・レニー・マッキントッシュです。

 
マッキントッシュ2
 

19世紀末から20世紀にかけて活躍したスコットランドの建築家、デザイナー、水彩画家です。

 

彼の芸術的アプローチは、ヨーロッパの象徴主義と多くの共通点を持っています。
 

マッキントッシュの作品は、妻のマーガレット・マクドナルドの作品とともにアール・ヌーヴォーや分離派などのヨーロッパのデザイン運動に影響を与えたとされています。

 

スコットランドのグラスゴーに生まれたマッキントッシュは、子どもの頃から自然や城、民家などをスケッチしながら、建築家を目指していました。

 

16歳でグラスゴーの建築家ジョン・ハッチソンのもとで働き始め、グラスゴー美術学校の夜間部で学び、いくつかの建築デザインを成功させます。

 

1904年に後のパートナーとなるハニーマン&ケッピー事務所で働き始め、本格的な設計活動を開始しました。

 

しかし、経済的に厳しい状況で多くの建築事務所が閉鎖されていった1913年、彼はパートナーを辞めて自分の事務所を開こうとした。

 

その頃、グラスゴー美術学校で知り合った建築家ハーバート・マクネア、絵画と金工を専門としていたマクドナルド姉妹と「ザフォー」を結成。

 

その活動はウィリアム・モリスらによる「アーツ・アンド・クラフツ運動」に触発されて始まったものでしたが、

 

アール・ヌーヴォーやジャポニズムの影響も受けながら、直線や幾何学を用いる「グラスゴー・スタイル」と呼ばれる独自のスタイルを徐々に確立してきます。

 

彼らのデザインはイギリス国内では酷評を受けたものの、ウィーンでの展覧会では称賛され、ウィーン分離派へ影響を与えました。

 

第一次世界大戦が始まった1914年以降はロンドンに移り住み設計活動を行い、1923年を境に建築設計の仕事から離れます。

 

そして死去する1928年まで、南フランスで水彩画家として活動していました。

 

◯ジャパニズムに魅了される

マッキントッシュは、人生の大半をグラスゴー街で過ごしました。

 

時はちょうど産業革命の頃、グラスゴーは世界でも有数の重工業や造船業の生産拠点となり、都市の成長と繁栄に伴い、消費財の高い需要に迅速に対応する必要がありました。

 

工業化された大量生産品が人気を博し始める一方、アジアンテイストのアートやモダニズム思想も流れ込み、マッキントッシュのデザインに影響を与えるようになります。

 

日本の鎖国体制が終わりを迎えた結果、世界と日本との交流が深化し、世界中で日本の影響が顕著に見られるようになったのです。

 

グラスゴーの造船所も日本の海軍と技術者の訓練を受け入れていました。

 

日本発のデザインは西洋人にとってより身近なものとなり、アーティストたちがこぞって創作に取り入れたため、ジャポニズムやジャポニスムといった新しい言葉が生まれたのです。

 
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そうしたジャポニズムに刺戟されたアーティストの一人であったマッキントッシュも、派手に色を積み重ねたり、凝ったものや人工的なものを使ったりするではなく、

 

シンプルな形と自然の素材を用い、模様や装飾よりも質感や光と影で表現するデザインを重視するようになります。

 

古くからの西洋スタイルでは、家具は所有者の富を示す装飾品であり、制作に要した時間の長さによってその価値が決まっていました。

 

一方、日本の家具やデザインは、空間と家具の関係性の質に重きを置き、有機的かつ抑制的な雰囲気を醸し出すという真逆のあり方だったのです。

 

また、その頃ヨーロッパでは、機能的で実用的なデザインを生み出すための新しい哲学、いわゆる「モダニズム思想」が生まれていました。

 

重厚な装飾や伝統的な様式スタイルは捨て去られ、新しい技術と表現の研究が進む中、マッキントッシュはモダニズム運動の先駆者として仕事していくわけですが、

 

彼のデザインはモダニズムにありがちなドライな機能主義とはかけ離れ、人間を合理的に生活する機械ではなく、芸術作品を必要とする血の通った個人として捉えていました。

 

彼は生まれ育ったスコットランドからインスピレーションを得て、アール・ヌーヴォーの華やかさと、日本の素朴な造形を融合させたのです。

 

◯代表作3点

ここでマッキントッシュの代表作を3つご紹介します。

 

グラスゴー美術学校

 
マッキントッシュ2
 

彼の国際的な評価を高めるきっかけとなった作品です。

 

予算不足のため建設は15年間に及び、その作風は二期に分かれています。

 

一期は曲線を多用したデザインでしたが、二期は幾何学的なエレメントが多用され、彼の作風の変遷をたどることができます。

 

グラスゴー美術学校は、建築評論家からイギリスで最も優れた建築物の一つとして挙げられています。

 

しかし不幸にも2018年に火災に見舞われ、修復が待たれるところです。

 

ウィロー・ティー・ルーム

 
マッキントッシュ2
 

マッキントッシュがデザインしたティールームのうち、最も有名なものです。

 

インテリアは柳をモチーフとし、内装や家具、テーブルウェアに至るまでデザインされています。

 

ちなみにマッキントッシュは家具デザイナーとしても活躍し、「ハイバック・チェア」などで知られる名インテリアを数多く残しています。

 
マッキントッシュ2
 

ヒルハウス

 
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スコットランドの伝統的な民家様式スコティッシュバロニアルに、幾何学的なデザインが掛け合わされた作品です。

 

機能的なL字形プランで、開口部や家具、調度品など、すべてがマッキントッシュにより設計・デザインされています。

 

◯晩年は水彩画家に転向

1923年には、マッキントッシュは南フランスの地中海沿岸の町で、温暖な気候のポルト・ヴェンドールに移ります。

 

この時既にマッキントッシュは建築やデザイン業から完全に手を引き、水彩画に専念していました。

 

人工的に作られた風景と自然の風景との関係に興味を持ち、建築物や風景の水彩画を数多く制作しました。

 

彼の作品の多くは、スペイン国境近くの小さな港、ポルト・ヴェンドールやルーシヨンの風景を描いています。

 

マッキントッシュは妻と共に2年間フランスに滞在しましたが、1927年に病気のためロンドンに戻ることになり、翌年喉の癌のためにロンドンで亡くなりました。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 


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