デザイナーたちの物語 シャルル・ガルニエ

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

◯パリ・オペラ座の設計者

今回ご紹介するのはシャルル・ガルニエ。

 
ガルニエ
 

フランスの建築家で、ガルニエ宮とモンテカルロ・オペラ座の設計者として最もよく知られています。

 

バロックの要素を大胆に取り入れたことから、同時代に完成したルーヴル宮殿新館とともに、「ネオ・バロック」と呼ばれるパロック復興のきっかけとなった作品です。

 

時はナポレオン3世による第二帝政時代。

 

19世紀フランスから始まったネオ・バロックは、帝国主義的競争が激化していたヨーロッパ諸国において、国家の威信を表現する最適な様式として、20世紀前半にかけて各国で流行しました。

 

◯運命を決したコンペ

シャルル・ガルニエは、1825年のパリの下町で生まれました。

 

父は馬車のレンタル業を営み、母は軍人の娘でした。

 

両親は教育熱心だったようで、ガルニエは、1842年にパリ王立美術学に入学し、建築を学びます。

 

1848年、23歳で若手芸術家の登竜門であるローマ大賞を受賞、奨学金を得てローマへ留学。

 

留学中はギリシア、ローマ、さらにコンスタンティノープルの古代建築を熱心に巡り、特にギリシア装飾の色彩に関心を寄せたという。

 

帰国後は、数多くの宗教建築を手がけたフランスの建築家テオドール・バリューのもとで修行に励みます。

 

1860年、皇帝ナポレオン3世は、パリ改造計画の一環として、新しいオペラハウスの建築設計コンペを発表しました。

 

応募者には1ヶ月間の応募期間が与えられました。

 

第一次審査は2段階に分かれており、ガルニエは第一次審査で約170名の応募者の中の一人でした。

 

ガルニエは第5位に入賞し、最終候補者の一人となりました。

 

第二次審査ではより厳格な審査が行われ、新たな応募作品の中でガルニエ案が「設計の美しい配分」「稀に見る優れた資質」といった好評を獲得し、選ばれたのです。

 

しかも、当時すでに大家として名を馳せていたヴィオレ・ル・デュクを破っての当選でした。

 

こうして35歳の無名のガルニエが、彼の名を冠した「ガルニエ宮」の建設に着手します。

 

建設は1861年の夏に開始されましが、最終に様々な紆余曲折によって、工期が遅れに遅れ、完成したのは13年後でした。

 
ガルニエ
 

まず工事最初の1週間で地下水の流れが発見され、地盤の不安が懸念されたのです。

 

オペラ座は非常に深い基礎を必要としました。

 

しかし地下水の量は予想以上に高く、井戸が沈むほどだったので、8つもポンプが水の汲み上げに投入されました。

 

しかし24時間汲み上げてもなお水を汲み切ることが出来ず、用地は水浸しのままだたそうです。

 

この問題に対処するために、ガルニエは湿気から上部の建物を守るためにセメントとコンクリートでできた二重の基礎を設計し、さらに水路と巨大なコンクリートの貯水池が設けられました。

 

両方とも基礎壁の外からの地下水のからの重圧を和らげ、防火用貯水池として機能させるものとされました。

 

このため「オペラ座は地底湖の上に建設された」という伝説が生まれ、これに着想を得たのが、ガストン・ルルーの小説『オペラ座の怪人』です。

 

着工から完成までの十余年間のフランスには、

 

1867年のメキシコ出兵の失敗

 

1870年の普仏戦争の敗戦とナポレオン3世の亡命(翌年没)

 

1871年のパリ・コミューンと第三共和政の発足

 

などの大事件が多く、新劇場の工事を休むこともありました。

 

1871年のパリが包囲された際は、未完成だったオペラ座は物資の倉庫や軍の牢獄として使われました。

 

そして1875年1月5日、ついにオペラ座が落成。

 

開会式には、フランス新共和国大統領マクマホン元帥、ロンドン市長、スペイン国王アルフォンソ12世など、ヨーロッパの名だたる君主たちが多数出席したそうです。

 
ガルニエ
 

◯荘厳華麗なネオ・バロックの傑作

オペラ座はネオバロックの傑作であり、 設計者の名前から「ガルニエ宮」とも呼ばれます。

 

約1万1100平方メートルに及ぶ巨大な建物の中に入った人々は、その巨大さと荘厳華麗な装飾に驚かされました。

 

ガルニエの作品は、フランスのボザール時代に流行したネオ・バロック様式を代表するものです。

 
 

これは、生前にギリシャやローマを何度も訪れていたことが影響していると思われます。

 

また、彼は建築の美しさと機能性を両立させた先駆者でもあり、彼のオペラ座は当時としては前例のない金属製の桁(建造物において柱間に架ける水平部材)で構成されていました。

 

鉄や鋼は耐火性に優れているだけでなく、木材よりも遥かに強度が高いため、何トンもの重い大理石などが積み上げられても、壊れることなく耐えることができたのです。

 

建築面積に対して座席数は少なめで、舞台や大階段、ホワイエ(ロビー)に多数の来客を受け入れられる十分なスペースを確保し、絢爛豪華な装飾が施されています。

 

当時最大の劇場として、新素材であった鉄を構造部に採用。合計2000席以上、5階建の巨大な劇場空間を実現しました。

 
ガルニエ
 

観客席は伝統的なイタリアの馬蹄型となっています。

 

舞台の大きさは450人程度を収容できるほどヨーロッパ最大となっており、緞帳は表面にタッセルと組みひもなどが絡み、しわが寄ったよう立体的なカーテンの絵が直接描き込まれています。

 

ダイナミックは階段空間もオペラ座の特徴です。

 
ガルニエ5
 

赤、緑、白の大理石でできた階段は、一階から上に上ると踊り場で末広がりのように二つに分かれ、大休憩室へと導かれます。

 

そして大休憩室もきらびやかの一言に尽きます。

 
ガルニエ
 

高さ18メートル、長さ154メートル、幅13メートルのホールは、パリの社交界の交流ホールとして設計されました。

 

ポール=ジャック=アイメ・ボードリが描いた天井画の題材は、音楽の歴史の中の様々なシーンをモチーフとしています。

 

現在でもこのオペラ座では、大統領などが出席する晩餐会が開かれています。

 

◯ガルニエ作品2点

モンテカルロ・オペラ

 
ガルニエ
 

モナコ公国にあるモンテカルロ・カジノに併設されたオペラハウスです。

 

バカンスの地に建つネオ・バロック。

 

ガルニエによるネオ・バロックのもう1つの代表作です。

 

ガルニエ宮が約2,000席であるのに対し、こちらは524席と非常に小さく、完成に13年もかかったオペラ座とは異なり、ガルニエ宮はわずか8ヶ月半で建設されました。

 

ニース天文台

 
ガルニエ
 

フランスのニースにあるグロ山の山頂に位置する天文観測所。ガルニエと、エッフェル塔の設計者であるギュスターヴ・エッフェルが設計しました。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 


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