デザイナーたちの物語 クリストファー・レン

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

◯科学畑出身の建築家

今回ご紹介するのは17世紀のイギリスの建築家、クリストファー・レン。

 
クリストファー・レン
 

「イギリス初の設計事務所を開いた科学者出身の建築家」として知られています。

 

レンが生まれたのは1632年。

 

しかし、1960年代中頃までの彼のキャリアは優秀な科学者でした。

 

なぜ科学者が建築に?と思われるかもしれませんが、

 

当時のイギリスでは、建築は応用科学の一分野だと考えられていたので、優秀な学者であれば建築について助言や設計を頼られるのは珍しくありませんでした。

 

国家プロジェクトであるならなおさらでした。

 

その国家プロジェクトというのは、ロンドン火災の復興事業でした。

 

1666年にロンドンでは4日間で家屋1万3200戸が消失する大火災が起きました。

 

その復興担当者として、レンは新しい建築基準を作成する委員に任命されたほか、焼失した教会の設計も命じられました。その数はなんと50以上。

 

この仕事のために彼が開いた事務所はイギリスで最初の設計事務所の1つとされています。

 

続く1669年には王室営繕局長官に任命され、国家最高の建築家に上り詰めます。

 

レンの最初の建築プロジェクトは、叔父であるイーリー司教のマシュー・レンから設計を依頼されたケンブリッジのペンブローク・カレッジの礼拝堂でした。

 

その次は1668年に完成したオックスフォードのシェルドニアン・シアターでした。

 
クリストファー・レン
 

この劇場は古代ローマのマルケルス劇場の形式に影響を受けており、古典と近代のデザインの融合が特徴です。

 

レンが活躍した時代のイギリスではバロック建築も建てられましたが、パラディオ主義の建築の方が好まれ、レンも基本的には直線を用いた平坦な表現を多く採用しています。

 

それらの作品は今でも数多く残っており、ロンドンの景観を構成する重要なファクターとなっています。

 

◯友人はニュートン

レンは1632年、イギリス・ウィルトシャーの聖職者の父のもとに生まれました。

 

子どもの頃のレンは病弱で、地元の聖職者のもとで教育を受けました。

 

ラテン語とともに絵も習っており、姉と結婚したウィリアム・ホルダー博士から数学の手ほどきを受けたそうです。

 

1650年にオックスフォード大学ウォドム・カレッジに進学、3年後に修士号を取得します。

 

修士号を取得後、オール・ソウルズ・カレッジのフェローに選ばれ、オックスフォードで研究と実験の日々をスタートさせます。

 

1657年にロンドンのグレシャム・カレッジで天文学の教授に任命。

 

レンの科学分野での業績は、天文学、光学、経度発見、宇宙論、力学、顕微鏡、測量、医学、気象学など多岐にわたり、彼は、観察、測定、解剖、モデルの構築に用いる様々な機器の発明、改良を行いました。

 

例えば望遠鏡。

 

レンは円錐レンズや鏡の研磨について研究し、透明なハニカム構造を作り、月や土星の観測を行いました。

 

彼が作った月の立体模型は王の目に留まり、王はレンにそれを完成させて見せるように命じることもあったとか。

 

また、レンは同時代の科学者、「世界の全てを計算できる男」とあだ名されたアイザック・ニュートンとも親交がありました。

 

 

近代科学における最も重要な著作の1つであり、運動の法則を数学的に論じ、天体の運動や万有引力の法則を扱ったニュートンの名著『自然哲学の数学的諸原理』の構想の源となったのは、

 

レンの問題提起であったと言われています。

 

◯ロンドン復興で大躍進

ロンドン大火が起こる4年前からレンは広場や都市計画のあり方について既に独自に研究を進めていました。

 

ロンドン大火が起こった当時は34歳。

 

レンが復興のため構想した壮大な都市計画は大地主の反対に遭い実現しなかったものの、彼は大火が起きるのを防ぐための法制度整備に努め、王室営繕局長官に任命されます。

 

これにより従来木造だったロンドンの家屋は石造りに転換されたほか、道路の幅などについても定められ、今日に続くロンドンの都市としての骨格が形成されることになります。

 
ロンドン大火
 

◯代表作2点

ここでレンの代表作をご紹介します。

 

セントポール大聖堂

 
セント・ポール大聖堂
 

最高高さ110m、奥行き152m。

 

レンが半生をかけて建てた壮大な大聖堂です。

 

西側にバロック的要素が見られるものの、全体表現は控えめ。

 

一番の見どころは3層でつくられたドームで、構造と表現を分離しつつも、最終的に統ーしてまとめた巧みな設計と言えます。

 

外側のドームは木造で、小塔の荷重は内側にあるレンガの構造体が受けています。

 

内側の構造体に窓、内部の丸天井中心に円形の穴が開き、ドーム上に別世界があるような印象を与えています。

 

外側から鉛板で覆った木造、荷重を支えるレンガの構造体、フレスコ画で飾られた丸天井の3重構造を持つセント・ポール大聖堂は、レンの独創的なアイデアです。

 

この大聖堂には地下納骨堂もあり、そこにレン自身も眠っています。

 

ケンブリッジ大学 トリニティカレッジ図書館

 
トリニティカレッジ
 

17世紀イギリスにおける図書館の完成形と目される建物です。

 

1階はアーケード、2階が図書館。図書館の床が1階アーチの下部ぎりぎりの高さにあるため、内部が実に広々としています。

 

2階の図書館の天井を高くするために、1階アーチ下に2階の床を設けています。

 

◯建築すなわち科学

レンの時代には、現在のような建築家という職業は存在しませんでしたが、彼がセント・ポール大聖堂建設に関わっていたことからも、自身の建築に対する関心があったことが伺えます。

 

セント・ポール大聖堂建設の2年後、レンは唯一の海外旅行であるフランスへの旅に出て、近代的な設計と建築を直接学びました。

 

この時、レンは建築の原理を完全に理解していたと言います。

 

建築の原理を規則や公式の集合体と考えていた同僚たちとは異なり、レンは理性と直観、経験と想像力を組み合わせて建築を理解し、活用していたのです。

 
セント・ポール大聖堂2
 

レンは90歳で亡くなりました。

 

彼が育てた弟子たちも成功を収め、新しい世代の建築家たちもレンの様式に目を向け始めていました。

 

レンが遺した建築で、後世に最も強い影響を与えたのは教会建築でした。

 

1757年に建設されたサント・ジュヌヴィエーヴ教会はセント・ポール大聖堂の影響を受けており、セント・ポール大聖堂似たドームが聳え立っています。

 

20世紀に入ると、歴史的建築様式の濃いレンの作品がイギリス建築界では徐々に注目されなくなっていきました。

 

以上、大禅ビル(福岡市 天神 賃貸オフィス)からでした。

 


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