デザイナーたちの物語 オスカー・ニューマイヤー

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

◯ブラジル近代建築の巨匠

今回ご紹介するのはブラジルの近代建築家、オスカー・ニーマイヤーです。

 
オスカー2
 

ニーマイヤーは、1960年にブラジルの首都となった計画都市、ブラジリアの建物を設計したことや、ニューヨークの国連本部を他の建築家と共同で設計したことで有名です。

 

鉄筋コンクリートの美しさの可能性を追求した彼の作品は、20世紀後半から21世紀初頭にかけて大きな影響力を持ちました。

 

◯ル・コルビュジエのアシスタントとして

ニーマイヤーは1907年、リオデジャネイロ市に生まれました。

 

オスカー・ニーマイヤーの曽祖父はポルトガル人移民で、ポルトガルに定住していたドイツ人兵士の孫だったそうです。

 

ちなみに本人は「自分にはインディオか黒人の血も混ざっているかもしれない。でもそれは私にとっては誇りである」と語っています。

 

1928年、21歳のとき、ニーマイヤーは学校(サント・アントニオ・マリア・ザッカリア司祭学校)を辞め、結婚します。

 

1934年にリオデジャネイロ国立芸術大学建築学部を卒業。

 

卒業後は、父親のタイポグラフィ事務所で働いた後、ルシオ・コスタとカルロス・レアンの設計事務所に製図工として勤務、そこで技術を習得します。

 

この事務所にいた時に旧教育保健省庁舎の設計案件に関わった際、設計顧問として近代建築の父であるル・コルビュジエも参画したことをきっかけにコルビュジエとも出会っています。

 
コルビュジエ11
 

ル・コルビュジエがリオに滞在していた期間、彼は巨匠の下書きを手伝うように任命されました。

 

コルビュジエが去った後、ニーマイヤーがコルビュジエの計画に大幅な変更を加えますが、それがプラスの評価を受けたことで、徐々にプロジェクトを任されるようになります。

 

ニーマイヤーが手掛けたこの教育保健省の建物は彼が36歳の時に完成し、後にブラジルのモダニズムの要素が色濃く現れているとされています。

 
教育保健省
 

1939年、32歳のニーマイヤーは、ニューヨーク万国博覧会のブラジル館を設計します。

 

より大きなフランス館に隣接するブラジル館は、その重厚な構造とは対照的なデザインを成し、

 

「優雅さとエレガンス」「軽さ」「空間の流動性」「曲線、自由な壁」といった言葉で表現される前衛的な「イオニア式」でした。

 

第二次世界大戦後の1952年にル・コルビュジエらと共にアメリカ・ニューヨークの国際連合本部ビルのデザインに参画。

 

さらに1956年から1960年にかけてブラジルの大統領となったクビチェックの呼びかけで始まり、

 

コンペを経て選ばれたルシオ・コスタの総合監修の下、ブラジルの新首都・ブラジリアの大統領官邸、国民会議議事堂や外務省、大聖堂などの主要建築物の設計という国家事業も手掛けました。

 
国民議会堂
 
大統領府
 
ブラジリアン聖堂
 

上空から見ると、どの建物にも同じ要素が繰り返され、ニーマイヤーが語るところの「自由な曲線」の多用による形式的な統一が図られています。

 

ブラジリアは、設計から落成まで4年という短期間で完成。

 

1987年には近代都市では初の世界遺産に登録されています。ニーマイヤーは、生前に自分の作品がこのような評価を受けた初めての人物でした。

 
ブラジリア
 

◯代表作2点

ニーマイヤーの作品は数多くありますが、ここでは代表作を2つご紹介します。

 

ニテロイ現代美術館

 
ニテロイ
 

ブラジルのリオデジャネイロ州ニテロイ市にあり、同市の主要なランドマークの一つです。

 

なんといってもその近未来的な外観。

 

花やUFOにも例えられるこの円盤型のモダニズム建築は崖の上に建てられ、ビーチがその下に広がっています。

 

1996年に完成したニテロイ現代美術館は、高さ16メートル、キューポラの直径は50メートル、3階建てとなっています。

 

広々としたアクセススロープは、60人を収容できるホールに繋がっています。

 

また、2つの扉は展望室に繋がっており、そこからはグアナバラ湾、リオデジャネイロ、シュガーローフマウンテンを一望できます。

 

オスカー・ニーマイヤー美術館

 
オスカー美術館
 

ブラジル・パラナ州のクリチバ市にある美術館です。

 

2つの建物からなる複合施設で、面積は3万5,000平方メートルにわたり、うち1万9,000平方メートルは展示スペースとなっています。

 

大胆な幾何学的フォルム、直方体と対比するように配置された彫刻的な曲線のボリューム、歩行者のための曲がりくねったスロープ、

 

大きな面積を占める白く塗られたコンクリート、鮮やかな壁画や絵画が描かれたエリアなど、ニーマイヤーの特徴的な要素が多く見られる美術館です。

 

この美術館では視覚芸術、建築、デザインに焦点を当てており、その壮大さ、美しさ、そして近代美術のコレクションの重要性から、国際的にも重要な文化施設となっています。

 

ニーマイヤーのデザインは近代建築に根ざしていますが、ポストモダン建築にも多くの共通点があり、この建物は、展示されているアート作品と同様、建築史に残る現代的な作品と言えます。

 

◯曲線へのこだわり

ニーマイヤーは、「モニュメントの彫刻家」として称賛されると同時に批判もされましたが、支持者からは偉大な芸術家であり、同世代の最も偉大な建築家の一人であると称されています。

 
オスカー2
 

彼は、自分の建築はル・コルビュジエの影響を強く受けていると語っていましたが、同時にル・コルビュジエが、ニーマイヤー自身の建築の方向性を妨げたわけではないと断言しています。

 

ニーマイヤーの建築の特徴としては、抽象的な形態や曲線を用いることで最も有名であり、

 

「私は、人間が作り出した硬くて融通の利かない直角や直線には惹かれない。

 

私が惹かれるのは、自由で官能的な曲線である。

 

私の国の山々、川の曲がりくねった流れ、海の波、そして愛する女性の体に見られる曲線だ。

 

曲線は宇宙全体、つまりアインシュタインの曲がった宇宙を構成しているのです」

 

と曲線に対する思索を述べています。

 

◯亡命生活

1960年代から1980年代中盤にかけてのブラジルの軍事政権下において、ニーマイヤーはその左翼的な政治志向が嫌われたため、ブラジルでの設計活動を禁止され、1967年、フランスのパリに亡命します。

 

その後の20年程はフランスを活動の拠点として、フランス、イタリア、アルジェリアなどで設計を手がけました。

 

1985年のブラジル民政復帰後はブラジルに戻り設計活動を再開。1988年にプリツカー賞を受賞。

 

そして2012年に肺炎のためリオデジャネイロの病院で亡くなりました。104歳の大往生でした。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 


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