デザイナーたちの物語 イニゴー・ジョーンズ

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

◯イギリスのパラディオ様式の先駆け

今回ご紹介するのはイニゴー・ジョーンズ。

 
ジョーンズ
 

イギリスのロンドン生まれの建築家であり、近世イギリスにおける最初の重要な建築家の一人です。

 

またシンメトリーの法則を建築物に採用した最初の人物としても知られ、舞台芸術家としても活躍しました。

 

ジョーンズは1597年頃と1613年頃の2度にわたってイタリアへ赴き、ルネサンス建築を研究し、古典主義建築を初めてイギリスにもたらしました。

 

彼の死後、18世紀イギリスでは、ルネサンスを代表する建築家アンドレア・パラディオと並び称され、

 

その作風が参照されたジョーンズは当初、宮廷仮面劇のデザイナーとして仕事を始めたものの、ほどなくイギリスにおける主導的な建築家となり、1615年にはジェームズ1世により王室建築監査長に任じられました。

 

イタリア・ルネサンスの影響を受けながらも、彼独特の端正な古典主義的な作風をつくりあげていきました。

 

イタリアで古代建築の研究を行う中で、ジョーンズは当時の建築、とりわけパラディオ建築に大きな影響を受け、パラディオの図面集を収集します。

 

ここからジョーンズは合理的法則に従い、建物全体を一つのまとまりとして捉える視点を身に付けながら、装飾が抑えられた簡素で威厳のある外観と、装飾豊かな内部の対比による独自の設計手法を創出していきました。

 

こうした作風は当時のイギリス建築界の中で極めて個性的であるとともに、18世紀にイギリスで興隆するパラディオ主義の礎となっていったのです。

 

◯舞台芸術家からのスタート

ジョーンズは、ロンドンで布職人の家族のもとで生まれたこと以外に、幼少期についてはほとんど分かっていません。

 

セント・ポール教会の庭で建具職人の見習いをしていたという情報もあります。

 

ジョーンズが有名になったのは、衣装や舞台装置のデザイナーとしてでした。

 

デンマークのアン女王の庇護のもと、可動式の舞台装置をイギリスの演劇に導入したことで知られています。

 

ジョーンズの仮面劇では、舞台と客席の間にカーテンが使われ、それを開けて場面を導入することになっていました。

 

ジョーンズはまた、舞台や劇場の空間全体を活用することでも知られており、役者を舞台の下に配置したり、高い台に上げたりして、劇場のさまざまな場所に配置していました。

 

ジョーンズの舞台では、光の使い方にも工夫が凝らされており、色眼鏡やスクリーン、油紙などを使って、舞台上に柔らかな光を作り出す実験が行われました。

 

1605年から1640年の間に、ジョーンズは500以上の公演の演出を担当したそうです。

 

450枚以上の舞台装置と衣装の図面が残されており、ジョーンズの製図家としての才能を示しています。

 

また、ジョーンズはソールズベリー伯爵のストランドの新取引所やセント・ポール大聖堂の中央塔のための図面も作成しています。

 

1613年4月27日、ジョーンズは王の作品の調査官に任命され、その直後、イギリスの美術史において最も重要なパトロンの一人となるアランデル伯爵とともにイタリア旅行に出発します。

 

この旅行でジョーンズは、ローマ、パドヴァ、フィレンツェ、ヴィチェンツァ、ジェノヴァ、ヴェネツィアなどの建築物に触れ、パラディオ建築に傾倒するようになります。

 
パルテノン神殿
 

それからジョーンズは、イタリアの現代的な流行を追うのではなく、ローマ時代の古代に重きを置くようになります。

 

彼はおそらく、ローマ時代の遺跡を直接研究した最初のイギリス人であると言われています。

 

◯建築家への転向

1615年9月、ジョーンズは王の工事の測量総監に任命され、建築家としてのジョーンズのキャリアが本格的に始まることになります。

 

国王の測量官として、ジョーンズは幾つかの重要な建築物をロンドンに建設しました。

 

1616年には、ジェームズ1世の妻アンのために、クイーンズ・ハウスの建設に着手しました。

 
ジョーンズ_クイーンズ
 

1635年に完成したこの建物は、パラディオや古代ローマの建築に見られるアイデアを採用し、イギリス初の厳密な古典主義建築物でした。

 

現存するジョーンズの最も古い作品です。

 

セント・ジェームズ宮殿の女王礼拝堂は、チャールズ1世のローマ・カトリック教徒の妻ヘンリエッタ・マリアのために1623年から1627年にかけて建設されました。

 

デザインの一部は古代ローマのパンテオンに由来しており、ジョーンズは教会がローマの神殿を連想させることを意図していたようです。

 

これらの建物は、古典建築の原理とその実践への理解の深さを併せ持つ、ジョーンズの成熟した建築家の姿を示しています。

 

ジョーンズが手がけたもう一つの大きなプロジェクトが、セント・ポール大聖堂の修復・改築です。

 
セント・ポール大聖堂
 

1634年から1642年にかけて、ジョーンズはセントポール旧市街の荒廃したゴシック様式と格闘し、古典的な石積みで囲み、西面のデザインを一新しました。

 

また、ジョーンズの設計作品の一つに「ダブル・キューブ」の部屋があり、これはジョーンズがイギリス建築の父としての地位を確立する礎石ともなりました。

 

ジョーンズは、その時代の先駆者として、彼らの時代に強い影響を与えた。彼の革新的なアイデアは宮廷関係者以外にも影響を与え、今日では多くの学者が彼が英国建築の黄金時代を築いたと考えています。

 

ジョーンズのキャリアは、1642年にイギリス内戦が勃発し、1643年に王の家が接収されたことで事実上終了しました。

 

◯代表作品

パンケティング・ハウス

 
ジョーンズ_パンケティング
 

中世の宮殿であるホワイトホールに増築された宮廷催事のための建物です。

 

正面ファサードは7ベイで構成され、前方に張り出している中央3ベイでは3/4柱が、ほかのベイではピラスター (付け柱) が用いられています。

 

ファサード上層の窓の上に花綱飾りや人面彫刻がある以外には装飾は用いられず、端正で厳格な印象を与えています、

 

クイーンズ・ハウス

 
ジョーンズ_クイーンズ2
 

ジェームズ1世の皇后のために、グリニッジ宮殿の敷地内に建てられました。

 

もともとは道の両側に2つの棟を配置し、両者を2階レベルで繋ぐ構成でしたが、現在は2棟が一体化されています。

 

ファサードは、中央が張り出すパラディオ風のものですが、単純化された平滑な壁面、頂部のバラストレード(欄干)により、箱形の外観に整えられています。

 

こうした特徴は、17世紀において極めて独創的なものでした。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 


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