デザイナーたちの物語 アルヴァ・アアルト

弊社、大禅ビルが行っております貸しビル業は、本質的には空間に付加価値をつけていくプロデュース業だと考えています。

 

そのような仕事をさせて頂いている身ですから、建築やインテリア、ファッションといったデザイン全般にアンテナを張っており、

 

そこで得たヒントやインスピレーションを大禅ビルの空間づくりに活かすこともあります。

 

とは言え、私は専門的にデザイナーとしての教育を受けたことはありませんから、本職の方々と到底比べられません。

 

本物のデザイナーというのは、既存の概念を超越するような美を生み出すアーティストに近い存在と言ってよく、その足跡の後には全く新しい地平が拓けていくものだと思っています。

 

◯自然と人間の温かみを表現する建築家

今回ご紹介するのはアルヴァ・アアルトです。

 
エストニア
 

フィンランドが生んだ20世紀を代表する世界的なモダニズム建築家です。

 

その活動は建築に留まらず、都市計画、家具、食器に至る日用品まで多岐にわたります。

 

彼の作品の特徴として挙げられるのは、木材、レンガ、銅板が放つ素材感や面のうねりを活かし、モダニズムの軸足を置きながら人間的な温もりを表現したことです。

 

まず二つの作品を紹介しましょう。

 

一つは「マイレア邸」。

 
エストニア
 

アアルトの親友であり、 よき理解者であった画家マイレアのための住宅です。

 

この作品には、アアルトが家具制作などを通して学んだ木のさまざまな表現が溢れており、アアルトが示した近代主義建築の新たな進路ははっきりと現れています。

 

もう一つは「セイナッツァロの役場」です。

 
アアルト役場
 

未開発の森林に巨大な合板工場が建設されたことで、人口が増加したこの町のコミュニティのための計画をアアルトが手がけ、役場の設計競技を勝ち取って建てた作品です。

 

1階に商店、2階に中庭を囲んで役場と図書館があります。

 

◯北欧モダニズムの新しい息吹

アアルトは1898年にフィンランドのクオルタネで生まれました。父は土地測量士で、母は郵便局長でした。

 

20歳頃に地元の画家ヨナス・ハイスカからデッサンのレッスンを受け、後にヘルシンキ工科大学の建築学科で学びます。学業はフィンランド内戦で一時中断され、従軍した彼は実際の戦争にも参加したようです

 

そして大学卒業から2年後に、フィンランド中部の都市ユヴァスキュラに事務所を設立します。

 

建築家として独立したときの作風は、当時流行の新古典主義に影響を受けたもので、彼や北欧諸国のその世代の他の多くの人々が共有していたのは、共通の古典建築へのアプローチでした。

 
アアルト事務所 (1)
 

アアルトが近代主義へと大きく舵を切ったのは1927年頃で、やがて北欧のモダニズム建築の旗手として世界的に有名になっていきます。

 

機能的な簡素さを持ちながら温かみを感じさせるムーラメ教会、木がうねる天井が特徴的なヴィイプリ図書館、いずれも北欧古典主義から機能主義への彼の変遷を示しています。

 
エストニア
 
エストニア
 

アアルトの初期の作品に色濃く表れる機能主義は、ル・コルビュジエやウォルター・グロピウス、その他中央ヨーロッパのモダニズムの主要人物からの影響によるものですが、

 

後にアアルトが行った機能主義への有機的な自然要素の導入は純粋なモダニズムからの脱却を意味しており、それがやがて彼自身の個性となっていくのでした。

 

鉄やコンクリートを使わずとも彫塑的な表現ができること、より人間らしく、その地域らしさが表現できること。

 

アアルトの作品はモダニズム建築の新しい道筋を創り出そうとする意気が感じられるものです。

 

彼の名声が高まるにつれ、国外からの依頼が増えていきました。1941年、アメリカのマサチューセッツ工科大学の客員教授として招かれ、

 

戦後も彼はマサチューセッツ工科大学の学生寮「ベーカー・ハウス」を設計します。

 

フィンランドに戻ると、アアルトヘルシンキ工科大学の新キャンパス、サイナツァロ市庁舎、ヘルシンキ年金研究所、ヘルシンキ文化会館、

 
エストニア
 

そして自身のための別荘であるムウラツァロの実験小屋といった、いくつかの重要な作品を完成させました。

 

アアルトの全キャリアの中で、500以上の個別の建物を設計し、そのうち約300の建物が建築されたと言われていますが、その大半はフィンランドにあります。

 

◯代表作:カレ邸

カレ邸は、

 

「家で過ごす毎日の生活をより美しく」

 

というアアルトの理念に基づき、自然なデザインと機能性を兼ね備えた最高傑作です。

 
アアルトカレ邸
 

パリから西へ約50キロ、静かな田園にある村の、オークの林に囲まれた小高い丘で、カレ邸はひっそりと建っています。

 

土地の傾斜と平行に上がっていく青いスレート葺きの屋根、囲われた中庭に面してリズミカルに配置された段の造形、傾斜に合わせてレベル差を設けた内部空間、

 

それらによって見事に自然の環境に溶け込んでいます。

 

邸宅に至るまでの小道は、なだらかな傾斜に沿って木々の間を通り抜けられるように設けられており、来訪者の期待感を高める効果があります。

 
エストニア
 

一方、内部で特徴的なのが、大きな玄関ホールに設けた、絵画を飾るための小さな壁です。

 

実はこの邸宅の玄関ホールは、アートギャラリーを兼ねています。

 

各部屋への動線ともなるこの玄関ホールは、ギャラリーでありながら生活の一部ともなっているのです。

 

自然と調和しつつ、アートと融合できる家を希望したパリの画商、ルイス・カレのために、アアルトは、アートと自然と共に暮らし、一体となれる家をつくり上げたのです。

 

羨ましい。なんと贅沢な家なのでしょうか・・・。

 

家具や照明など細部に至るまで、アアルトはデザインを手掛けました。

 

きめ細かく設計されたこの住宅はカレ夫妻によって、改装もなくほぼ完成当時のまま使い続けられたそうです。

 
アアルトカレ邸
 

◯日本文化のインスピレーション

アアルトの建築には素材の扱い方において、たとえば色彩の薄い木材の美しい木肌をそのまま現しで用いた点など、日本文化の影響が感じさせる要素が多く見られます。

 

実際、アアルトはかなりの親日家だったようで、日本建築だけでなく、日本の童話などにも親しんでいたとか。

 

アアルトが30代の半ばに親しく交友した日本人がいました。

 

フィンランド駐在の日本公使、市河夫妻です。フィンランド在住の日本人まだほとんどいなかった時代の話です。

 

その頃、アアルト夫妻はすでにフィンランドを代表する建築家として活躍しつつ、自分たちがデザインした家具を販売するアルテック社を立ち上げるなど多忙な生活を送っていました。

 

そこで恐らく初めて知り合った日本人に強い興味を抱いたのでしょう。近所に住まいがあった数年間は頻繁に交流が持ったようです。

 

非常に社交的でユーモアにあふれたアアルトと、穏やかで落ち着いたアアルト夫人。

 

アアルト夫妻がデザインしたインテリアに招かれた市河夫妻は、どこか日本を思い起こさせる曲げ合板の家具や自然な色合いを愛でたのかもしれません。

 

市河夫妻との交流や書籍から学んだ自然美を重んずる日本建築や生活様式はアアルトのインスピレーションに影響を与えたと考えられます。

 
日本家屋
 

◯作品観に通ずるアアルトの仕事観

「私の協力者は熟練した建築家であり、単なる製図工ではない」

 

アアルトの言葉です。

 

アアルトはドライなチームではなく、共同設計者である妻、事務所スタッフ、家具職人など多くの人たちと共同で設計しているという意識を持っていました。

 

立場に関係なく、互いにリスペクトしあいながら、皆が責任と誇りをもって仕事をする。

 

人間的な温かみを感じられるアアルトの作品は、彼のこうした仕事観だからこそ創り得たものかもしれませんね。

 

以上、大禅ビル(福岡市 舞鶴 賃貸オフィス)からでした。

 


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